アルフレート・レードル

アルフレート・レードル
Alfred Redl
1907年頃
生誕 1864年3月14日
リヴィウ
死没 1913年5月25日(1913-05-25)(49歳)
ウィーン
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アルフレート・レードルドイツ語: Alfred Redl1864年3月14日 - 1913年5月25日)は、オーストリア=ハンガリー帝国士官。オーストリアとロシアの二重スパイとして活動した。「レードル大佐」の名で知られる。

概要

オーストリアの対敵諜報部長だったが、同性愛者であることをロシアの諜報部員に掴まれ、脅しに屈して二重スパイとなった[1]ガリツィアにオーストリアの要塞を建設する計画などをロシアに洩らした[1]。ロシアからの報酬を受け取っている現場を確認したオーストリア当局に、裏切りの証拠を突きつけられ、全てを自白。拳銃を渡され、自決した[1]

オーストリア当局はこの醜聞をもみ消そうとしたが、プラハの特派員エゴン・エルヴィン・キッシュ(ドイツ語版)によって公表され、国際的なセンセーションが巻き起こった[2]

セルビア進攻を想定した動員計画「Plan III」の内容も完全に漏洩しており、そのせいでオーストリアは第一次世界大戦の序盤において大苦戦を強いられた[3]。軍事歴史家によると、レードルのせいで約50万人のオーストリア兵が犠牲になったという[3]

映画

  • レードル大佐 (1925年)(ドイツ語版)』:1925年に制作されたサイレント映画。監督はハンス・オットー・レーヴェンシュタイン(ドイツ語版)
  • スパイ (映画)(ドイツ語版)』:1955年に制作された、オーストリアの歴史映画。監督はフランツ・アンテル(ドイツ語版)
  • 連隊長レドル』:1985年に制作された、ドイツ・オーストリア・ハンガリー合作映画。監督はサボー・イシュトヴァーン

出典

  1. ^ a b c ホフマン(2014), p. 210.
  2. ^ ホフマン(2014), p. 211.
  3. ^ a b 矢澤豊 (2010年4月29日). “「レードル大佐」:目標を失った官僚の末路”. アゴラ. http://agora-web.jp/archives/995236.html 2019年5月21日閲覧。 

参考文献

  • ポール・ホフマン(ドイツ語版) 著、持田鋼一郎 訳『ウィーン:栄光・黄昏・亡命』作品社、2014年7月15日。ISBN 978-4-86-182-467-8。 

外部リンク

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