エクフラシス

エクフラシスまたはエクプラシス (古希: ἔκφρασις, ekphrasis) は、西洋文学の用語で、絵画彫刻といった視覚芸術を文章で描写する行為を指す。

意味

「エクフラシス」の語源は、古代ギリシア語で「~から外へ」を意味する前置詞「エク」(ἐκ, ek) に、「明らかにする、宣言する、発話する」を意味する動詞「フラゼイン」(プラゼイン, φράζειν, phrazein) をあわせた複合語であり、原義は「はっきり述べる」である[1]

本来は文学用語でなく、古代ギリシア・ローマ修辞学(弁論術)の用語で[2]、芸術に限らず、人物・出来事・場所・気象・戦争・時間経過などあらゆる事物を文章で描写する行為を指した[3][1]。具体的には、修辞学の基礎教科(プロギュムナスマタ(英語版))の一つとして、弁論の練習を目的に、「主題を眼前に生き生きと描き出す言論[4]」を指した。そして、エクフラシスの読み手・聴き手が感じる「迫真性」すなわち臨場感や鳥肌を、「エナルゲイア(フランス語版)」といった[3][1]

近代以降、「エクフラシス」という言葉が修辞学から離れて独り歩きし、視覚芸術を文章で描写する行為を指すようになった[1]。現代の専門家のあいだでも、定義が曖昧である[5]

歴史

文学用語のエクフラシスの例として、ホメロスイリアス』第18歌における「アキレウスの盾」の描写が、まず第一に挙げられる[6][7][8][9]。この「アキレウスの盾」の描写は、後世のエクフラシスの模範になった。その他の例としては、ウェルギリウスアエネイス』第1歌の「ユノ神殿の絵」の描写[10]や第8歌の「アエネアスの盾」の描写[11]カトゥッルス第64歌(英語版)[12]、『ギリシア詞華集』所収の詩のいくつか[13]シレンティアリオス(英語版)[14]メサリテス(英語版)[15]によるビザンティン聖堂の描写、ダンテ神曲』煉獄篇第10歌における彫刻の描写[16]ヴァザーリ芸術家列伝[11][17][18][19]ロンサールの詩のいくつか[20]ワーズワスエレジアック・スタンザ(英語版)[21]ジョン・キーツギリシャの壺に寄せるオード(英語版)[22]P・B・シェリーによるダ・ヴィンチ画『メデューサ(英語版)』の描写[23]メルヴィル白鯨』におけるクジラの絵の描写[24]ドストエフスキー『白痴』第3部6章における子ホルバイン画『墓の中のキリストの屍(英語版)』の描写[25]ロセッティ[26]ヴァルザー[27]の詩のいくつか、などが挙げられる。

修辞学用語のエクフラシスの例は、ローマ帝国期のギリシア語弁論家[28]すなわち第二次ソフィスト[7]の作品に主に見られる。とくに、テオン(英語版)ヘルモゲネス(英語版)メナンドロス(英語版)アプトニオス(英語版)リバニオスらがそれぞれに書いた、プロギュムナスマタの教科書で言及された[29][2]。彼ら第二次ソフィストもまた、上記の「アキレウスの盾」をエクフラシスの模範としていた[29][7]。第二次ソフィストのエクフラシスの手法は、東ローマ帝国期のビザンティン文学に継承された[30]。なお、ローマ帝国期のラテン語弁論家の作品においてエクフラシスが言及されることは無かったが[31]中世初期プリスキアヌスによって「デスクリプティオ」(羅: descriptio) と訳されラテン中世に伝えられた[32]

文学用語と修辞学用語の両方にあたるエクフラシス、すなわち、弁論家が視覚芸術を描写した作品も存在する。その例として、ローマ帝国期のルキアノスによるアペレス画『誹謗』の描写[33]や『お傭い教師』[34]、および、大ピロストラトス小ピロストラトスエイコネス』が挙げられる。この『エイコネス』がエクフラシスの代表例とされることもある[8][33][35]

ルネサンス期には、ティツィアーノ画『ヴィーナスへの奉献』やボッティチェッリ画『誹謗』のように、古代のエクフラシス作品で描写された絵画を再現した絵画が作られた[36]

音楽学

「絵画などを音楽化した作品」をエクフラシスと呼ぶ用法もある[37][38]。この用法は音楽学者ジークリント・ブルーン(英語版)が2000年に提唱した[38]

例として、ムソルグスキー展覧会の絵』、ドビュッシー『海』第1楽章[38]ラフマニノフ『死の島』、カロル・シマノフスキ『メトープ』[37]キング・クリムゾンのアルバム『暗黒の世界』所収のR・P・ジェイムス作詞『夜を支配する人』(レンブラント画『夜警』の音楽化)などがある。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e 桑木野 2018, p. 23ff.
  2. ^ a b 五之治 1996, p. 80.
  3. ^ a b 渡辺 2014, p. 10.
  4. ^ 渡辺 2014, p. 9.
  5. ^ 長谷川 2002, 要旨.
  6. ^ 水島 2019.
  7. ^ a b c 吉田 1999, p. 17.
  8. ^ a b 鈴木 2006, p. 56.
  9. ^ 井面 2008, p. 2.
  10. ^ 秋山 2007, p. 61.
  11. ^ a b 渡辺 2014, p. 7.
  12. ^ 渡辺 2018, p. 1.
  13. ^ 沓掛 2017, 第1章.
  14. ^ 益田朋幸「ビザンティン聖堂装飾における中軸の図像」『エクフラシス : ヨーロッパ文化研究』2、早稲田大学ヨーロッパ中世・ルネサンス研究所、58-78頁、2012年。60頁。
  15. ^ 西村 2005, p. 4.
  16. ^ 松村 2002, p. 71.
  17. ^ 西村 2005, p. 5-7.
  18. ^ 井面 2008, p. 4ff.
  19. ^ Alpers, Svetlana Leontief (1960), “Ekphrasis and Aesthetic Attitudes in Vasari’s Lives”, Journal of the Warburg and Courtauld Institutes (The Warburg Institute) 23 (3/4): 190-215, https://doi.org/10.2307/750591 
  20. ^ 林 2004, p. 96.
  21. ^ 鈴木 2006, p. 60.
  22. ^ 鈴木 2006, p. 63.
  23. ^ 鈴木 2006, p. 65.
  24. ^ 原田 2003, p. 83.
  25. ^ ヴィクトル・I.ストイキツァ著、岡田温司監訳『絵画をいかに味わうか』平凡社、2010。ISBN 9784582206371。146頁。
  26. ^ 松村 2002.
  27. ^ 吉田 1999.
  28. ^ 五之治 1996, p. 87-93.
  29. ^ a b 渡辺 2014, p. 9-12.
  30. ^ 橘 1999, p. 12.
  31. ^ 五之治 1996, p. 82-86.
  32. ^ 五之治 1996, p. 94.
  33. ^ a b 西村 2005, p. 1.
  34. ^ 渡辺 2014, p. 12f.
  35. ^ 渡辺 2014, p. 13.
  36. ^ 西村 2005, p. 7.
  37. ^ a b 今井 2020.
  38. ^ a b c 沼野 2022, p. 73.

参考文献

  • 秋山学「言語空間としてのエクフラシス(『アエネイス』第1巻)――『アエネイス』第6巻,『牧歌』第4歌との関連で――」『文藝言語研究 言語篇』第51号、筑波大学文藝・言語学系、57-83頁、2007年。https://hdl.handle.net/2241/89202 
  • 井面信行「絵と言葉――新たなエクフラシスに向けて」『文学・芸術・文化 : 近畿大学文芸学部論集』第20号、近畿大学文芸学部、9-25頁、2008年。http://id.nii.ac.jp/1391/00007836/ 
  • 今井千絵『カロル・シマノフスキのピアノ曲『メトープ』『仮面劇』と文学の関連性 : ミュージカル・エクフラシスの視点から』 桐朋学園大学 博士論文(音楽), 甲第1号、2020年。 NAID 500001417204。https://opactoho.tohomusic.ac.jp/webopac/TD20111022 
  • 沓掛良彦『古代西洋万華鏡 ギリシア・エピグラムにみる人々の生』法政大学出版局、2017年。ISBN 9784588356032。 
  • 桑木野幸司『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』講談社〈講談社選書メチエ〉、2018年。ISBN 9784065140260。 
  • 五之治昌比呂「人物描写における「上から下へ」の順序について」『西洋古典論集』第13号、京都大学西洋古典研究会、73-99頁、1996年。ISSN 0289-7113。 NAID 110004688034。https://hdl.handle.net/2433/68635 
  • 鈴木雅之「姉妹芸術からエクフラシスへ」『英文学評論』第78号、京都大学大学院人間・環境学研究科英語部会、45-70頁、2006年。https://doi.org/10.14989/RevEL_78_45 
  • 橘孝司「ポスト・ビザンツ期の人物のエクフラシス――「ディゲニス・アクリティスO版」等を素材として」『プロピレア』第11号、日本ギリシア語ギリシア文学会、12-28頁、1999年。https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00032826 
  • 西村清和「物語る絵のナラトロジー」『美学藝術学研究』第23巻、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美学芸術学研究室、1-28頁、2005年。https://doi.org/10.15083/00016709 
  • 西村清和 『イメージの修辞学 ことばと形象の交叉』三元社、2009年、新装版2017年、ISBN 978-4883034413
  • 沼野雄司『音楽学への招待』春秋社、2022年。ISBN 9784393930403。 
  • 長谷川弘基「エクフラシスと自己と他者の関係」『要旨』東京大学 博士論文(学術), 甲第16742号、2002年。 NAID 500000245221。http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=116742 
  • 林千宏「ロンサールにおけるekphrasis(エクフラシス)について : 『讃歌集』『フランシアード』をめぐって」『関西フランス語フランス文学』第10巻、日本フランス語フランス文学会関西支部、97-98頁、2004年。https://doi.org/10.24490/ellfk.10.0_96 
  • 原田明子「『ピエール』におけるエクフラシス」『作新学院大学人間文化学部紀要』第1巻、作新学院大学人間文化学部、83-94頁、2003年。https://doi.org/10.18925/00000090 
  • 松村伸一「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのエクフラーシス詩と世紀末美学の形成」『青山學院女子短期大學紀要』第56巻、青山学院女子短期大学、57-82頁、2002年。https://doi.org/10.34321/9627 
  • 水島陽子 著「アキレウスの楯」、川島重成・古澤ゆう子・小林薫 編『ホメロス『イリアス』への招待』ピナケス出版、2019年。 
  • 吉田孝夫「ローベルト・ヴァルザーの絵画描写について : エクプラシスの観点から」『研究報告』第12巻、京都大学文学部独文研究室、15-42頁、1999年。https://hdl.handle.net/2433/134420 
  • 渡辺浩司「エクフラシス : ローマ帝政期における弁論術教育」『弁論術から美学へ : 美学成立における古典弁論術の影響』平成23年度 - 平成25年度 科学研究費補助金 基盤研究(C) 研究成果報告書、大阪大学大学院文学研究科、7-15頁、2014年。https://hdl.handle.net/11094/54544 
  • 渡辺浩司「カトゥッルス64歌はどういう歌なのか」『待兼山論叢. 芸術学篇』第52巻、大阪大学大学院文学研究科、1-28頁、2018年。https://hdl.handle.net/11094/76079 
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