オースチン・3リッター

フロントビュー

オースチン・3リッターイギリス自動車メーカーブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)が1968年から1971年まで生産した大型乗用車である。設計コードネームは「ADO (Austin Drawing Office Project) 61」であった。

いわゆるBMC・"ファリーナ"・サルーンの大型版であったA110ウエストミンスターの後継車として1960年代半ばまでに開発された後輪駆動車であったが、ADO16/17と共通のオイルを用いた前後関連式「ハイドロラスティック」サスペンションが装備され、荷重に係わらず姿勢を水平に保つことが出来た。エンジンはA105以来の直列6気筒7ベアリング2912cc・125馬力が縦置きに搭載された。

車体は生産合理化のためADO17のセンターセクションやドアが流用されたため、あたかもADO17の大型版のようなスタイルになり、長いホイールベースのため胴長なことから英国では'Landcrab'(陸上の蟹)と呼ばれたADO17に対し、'Land-Lobster'(陸上のロブスター)というニックネームが付いた。実際、全長4718mm・全幅1695mmに対し、ホイールベースは2908mmもあった。室内も大型車にふさわしく豪華に設えられ、ウッド張りのダッシュボードや布張りの天井を持つが、なぜかシートには本革ではなく、上質なものではあったがビニールレザーが使われた。

3リッターは商業的には大きな失敗に終わり、僅か9,992台を生産したのみで1971年には早くも生産中止されてしまう。高級版のバンデン・プラウーズレー版もプロトタイプは試作されたが生産化には至らなかった。余りにも外観がADO17に似ていて高級感が欠如していたこと、BLMCとなって自社内にローバー・P6やトライアンフ2000/2500という強力なアッパーミドルカーのライバルが存在し、大衆車ブランドであるオースチンが大型車を生産する理由も希薄になっていたためであった。当時の日本にも輸入されなかった。

なお、5ドアエステートワゴンもコーチビルダーのクレイフォードによって少数生産された。

この時代のBMC/BLMC製前輪駆動車の多くを設計した名エンジニア・サーアレック・イシゴニス(Sir Alec Issigonis)は3リッターの設計にはタッチしていない。[1]

脚注

  1. ^ 英語版ウィキペディアによると[出典無効]、この点を生前の彼は特に強調していたと言われる。
BMC・BMH・BLMC生産車タイムライン(1955–1979年)
種類 1950年代 1960年代 1970年代
5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
会社名 BMC BMH BLMC
ミニカー オースチン・セブン/モーリス・ミニマイナー/ウーズレー・ホーネット/ライレー・エルフ/ミニ
大衆車 モーリス・マイナー
オースチン・A35
ライレー・1.5/ウーズレー・1500
オースチン・A40(ファリーナ)
オースチン/モーリス/MG/ウーズレー・1100/1300
ライレー・ケストレル/ヴァンデン・プラ・プリンセス1100/1300
トライアンフ・ヘラルド
トライアンフ・1300 トライアンフ・トレド
オースチン・アレグロ
中型車 モーリス・オックスフォード/MG・マグネット/オースチン・A55/A60・ケンブリッジ
ウーズレー・15/60→16/60
ライレー・4/68→4/72
BL・プリンセス
オースチン/モーリス・1800/2200/
ウーズレー18/85→6
オースチン・マキシ
トライアンフ・1500
モーリス・マリーナ
高級車 ジャガー・XJ6/12
デイムラー・ソヴリン/ダブルシックス
トライアンフ・2000/2500
ローバー・P6 ローバー・SD1
オースチン・A99→A110・ウエストミンスター
ウーズレー・6/99→6/110
バンデン・プラ・プリンセス3リッター
オースチン・3リッター
トライアンフ・ドロマイト
リムジン デイムラー・DS420
スポーツカー
オースチン・ヒーレー・スプライト
MG・ミジェット
MG・B
ジャガー・Eタイプ ジャガー・XJS
トライアンフ・スピットファイア
トライアンフ・GT6
トライアンフ・TR6
トライアンフ・スタッグ
トライアンフ・TR7
オフロード車 ランドローバー
レンジローバー