グゥイネッズ家

グゥイネッズ王家(グゥイネッズおうけ、グゥイネッズ朝、: The House of Gwynedd)は、中世ウェールズ(英語版)のグゥイネッズ王国の王家である。

歴史

グゥイネッズ王家は420年頃から825年まで続いた前期のキネザ家(キネザ朝)と844年に始まった後期のアベルフラウ家(英語版)(アベルフラウ朝)に分けられる。前者はグゥイネッズを建国した王キネザ(英語版)に因み、後者はグゥイネッズの古い首都であるアベルフラウ(英語版)に因む。

アベルフラウ家は1378年のオーワイン・ラウゴッホ(英語版)(赤い手のオーワイン)の死により跡絶えた[1]

血統

それ以前の異教のモルムティウス法(英語版)を基にしたハウエル・ザー(英語版)(善良王ハウエル)の(英語版)の下では、息子は誰でも父親から相続することができる。これは、父親が認めている場合には、非嫡出子のことまでも指す。父親と配偶者の家系がともに王族でない限り、女系を介して王位を継承することはできない。多くの例では、いとこ同士が結婚していたため、この区別はやや机上のものとなっていた。

アベルフラウ家はロドリ・マウル(英語版)(大ロドリ)のグゥイネッズ王位の継承により始まった。大ロドリの父メルヴィン・ヴリッヒ・アプ・グゥリアド(英語版)は旧王家の最後の王族であるハウエル・アプ・ロドリ・モルゥイノグ(英語版)の死後、グゥイネッズの王位に就いた。彼は前王の姪であるエシスト・ヴェルフ・カナン・アプ・ロドリ・モルゥイノグ(Ethyllt verch Cynan ap Rhodri Molwynog)と結婚した。彼らの息子が、両方の血筋を受け継いだ、ロドリ・マウルであった。

出典

  1. ^ Davies, John (2007) (英語). A History of Wales. Penguin UK. ISBN 978-0-14-192633-9. https://books.google.com/books?id=ogTq2KRuu9IC&lpg=PT337&dq=House%20of%20Aberffraw%20extinct&pg=PT337#q=House%20of%20Aberffraw%20extinct 2019年12月23日閲覧. "The plot was carried out (by a Scot) in 1378, and Saint Leger on the banks of the Garonne (opposite Chateau Calon Segur - not a Welsh name, alas) became the burial place of the last of the male line of the house of Aberffraw.Following the extinction of that line,..." 

関連項目