ジョゼ・ソクラテス
ジョゼ・ソクラテス José Sócrates | |
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ジョゼ・ソクラテス(2011年) | |
生年月日 | (1957-09-06) 1957年9月6日(66歳) |
出生地 | ポルトガル、アリジョ |
前職 | 土木技師 |
所属政党 | 社会民主党(1974年 - 1981年) 社会党 (1981年 – 2018年) 無所属(2018年 - ) |
サイン | |
第119代ポルトガル共和国首相 | |
在任期間 | 2005年3月12日 - 2011年6月21日 |
大統領 | ジョルジェ・サンパイオ アニーバル・カヴァコ・シルヴァ |
在任期間 | 2007年7月1日 - 2008年1月1日 |
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ジョゼ・ソクラテス・カルヴァーリョ・ピント・デ・ソウザ[1](ポルトガル語: José Sócrates Carvalho Pinto de Sousa、1957年9月6日 - )は、ポルトガルの政治家。首相(2005年 - 2011年)や社会党書記長(党首)を歴任した。
経歴
衛生工学を学んだ土木技師であった。1981年から社会党のメンバーであり、1987年には共和国議会(国会)議員に選出された。1995年にアントニオ・グテレスの第一次内閣で国務長官として入閣した。2年後に青年スポーツ大臣に就任し、ポルトガルで開催されたUEFA EURO 2004の主催者の一人となった。1999年に第二次グテレス内閣で環境大臣に就任した。2002年の選挙でソクラテスの社会党は野党に下った。フェロ・ロドリゲスが2004年に書記長を辞任した後、2004年9月24日に行われた書記長選挙で投票数の80%を獲得し、マヌエル・アレグレおよびジョアン・ソアレスを破り書記長に就任した。
2005年ポルトガル議会選挙で社会党は圧倒的勝利を収め、ソクラテスは組閣のため2月24日にジョルジェ・サンパイオ大統領に呼び出された。新内閣の発足とソクラテスの首相就任は2005年3月12日に行われた。2009年ポルトガル議会選挙において社会党は過半数を下回ったが、第一党を維持したため政権を維持することに成功した。しかし、税収の伸び悩みと財政赤字削減が進まないことに起因した財政危機が表面化し、厳しい政権運営を強いられた。そして財政再建のための追加緊縮策が全野党に反対され議会で否決された事を受け、2011年3月23日に首相を辞任した[2](その後も暫定政権は維持したが、6月21日に正式に退陣した)。2011年ポルトガル議会選挙で社会党は敗北し、書記長辞任を表明した[3]。
現在は離婚しており、2人の子供がいる。
2014年11月にリスボンで脱税、汚職、資金洗浄の事件で検察当局に逮捕された[4]。2018年に社会党を離党。
出典・脚注
- ^ ジョゼ・ソクラテスが名前で、カルヴァーリョ・ピント・デ・ソーザが姓。カルヴァーリョが母方の姓で、ピント・デ・ソウザが父方の姓である。ポルトガル語発音ではジュゼ・ソークラティシュ・カルヴァーリュ・ピントゥ・ディ・ソーザのような発音になる。
- ^ 財政緊縮策否決でポルトガル首相辞任、政治危機へ突入か-2011年3月25日9時9分配信AFP
- ^ “ポルトガル議会選、与党敗北 政権交代へ”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年6月6日). http://www.afpbb.com/article/politics/2804039/7304914?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics 2011年6月6日閲覧。
- ^ ポルトガル前首相逮捕=脱税、汚職捜査の一環 時事ドットコム 2014-11-22
公職 | ||
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先代 ペドロ・サンタナ・ロペス | ポルトガル共和国首相 第119代:2005 - 2011 | 次代 ペドロ・パッソス・コエーリョ |
議会 | ||
先代 (複数人選出) | カステロ・ブランコ県選出議員 1987 - | 次代 (複数人選出) |
外交職 | ||
先代 アンゲラ・メルケル ドイツ | 欧州理事会議長 2007 - 2008 | 次代 ヤネス・ヤンシャ スロベニア |
党職 | ||
先代 フェール・ルドリゲシュ(ポルトガル語版) | 社会党書記長 第7代:2004 - 2011 | 次代 アントニオ・ジョゼ・セグーロ(ポルトガル語版) |
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王政期 | ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1834.9.24-1835.5.4 / ヴィトリオ・デ・ソウサ・コーティーニョ1835.5.4-5.27 / ジョアン・デ・サルダーニャ1835.5.27-11.18 / ジョゼ・ジョルジェ・ロウレイロ1835.11.18-1836.4.20 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1836.4.20-9.10 / ジョゼ・ダ・ガマ・カルネイロ・エ・ソウザ1836.9.10-11.4 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1836.11.5-1837.6.1 / アントニオ・ディアス・デ・オリヴェイラ1837.6.2-8.10 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1837.8.10-1839.4.18 / ロドリゴ・ピント・ピサロ1839.4.18-11.26 / ジョゼ・トラヴァッソス・バルデス1839.11.26-1841.6.9 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1841.6.9-1842.2.7 / ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1842.2.7-2.8 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1842.2.9-1846.5.20 / ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1846.5.20-10.6 / ジョアン・デ・サルダーニャ1846.10.6-1847.4.28 / ジョアン・デ・サルダーニャ1847.12.18-1849.6.18 / アントニオ・ベルナルド・ダ・コスタ・カブラル1849.6.18-1851.4.26 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1851.4.26-5.1 / ジョアン・デ・サルダーニャ1851.5.1-1856.6.6 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1856.6.6-1859.3.16 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1859.3.16-1860.4.26 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1860.5.1-7.4 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1860.7.4-1865.4.17 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1865.4.17-9.4 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1865.9.4-1868.1.4 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1868.1.4-7.22 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1868.7.22-1869.8.11 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1869.8.11-1870.5.19 / ジョアン・デ・サルダーニャ1870.5.19-8.29 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1870.8.29-10.29 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1870.10.29-1871.9.13 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1871.9.13-1877.3.5 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1877.3.5-1878.1.29 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1878.1.29-1879.6.1 / アンセルモ・ジョゼ・ブラームカンプ1879.6.1-1881.3.25 / アントニオ・ロドリゲス・サンパイオ1881.3.25-11.14 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1881.11.14-1886.2.20 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1886.2.20-1890.1.14 / アントニオ・デ・セルパ・ピメンテル1890.1.14-10.14 / ジョアン・クリゾストモ1890.10.14-1892.1.17 / ジョゼ・ディアス・フェレイラ1892.1.17-1893.2.23 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1893.2.23-1897.2.7 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1897.2.7-1900.6.26 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1900.6.26-1904.10.20 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1904.10.20-1906.3.19 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1906.3.19-5.19 / ジョアン・フランコ1906.5.19-1908.2.4 / フランシスコ・ジョアキム・フェレイラ・ド・アマラル1908.2.4-12.26 / アルトゥル・アルベルト・デ・カンポス・エンリケス1908.12.26-1909.4.11 / セバスチオン・クストディオ・デ・ソウザ・テレス1909.4.11-5.14 / ヴェンセスラウ・デ・ソウザ・ペレイラ・デ・リマ1909.5.14-12.22 / フランシスコ・アントニオ・ダ・ヴェイガ・ベイラオ1909.12.22-1910.6.26 / アントニオ・テイシェイラ・デ・ソウザ1910.6.26-10.5 |
第一共和政 | テオフィロ・ブラガ1910.10.5-1911.9.3 / ジョアン・シャガス1911.9.4-11.12 / アウグスト・デ・ヴァスコンセロス1911.11.12-1912.6.16 / ドゥアルテ・レイテ1912.6.16-1913.1.9 / アフォンソ・コスタ1913.1.9-1914.2.9 / ベルナルディノ・マシャド1914.2.9-12.12 / ヴィクトル・ウーゴ・デ・アセヴェド・コーティーニョ1914.12.12-1915.1.25 / ジョアキム・ピメンタ・デ・カストロ1915.1.25-5.14 / ジョゼ・デ・カストロ1915.5.17-11.29 / アフォンソ・コスタ1915.11.29-1916.3.15 / アントニオ・ジョゼ・デ・アルメイダ1916.3.15-1917.4.25 / アフォンソ・コスタ1917.4.25-12.8 / シドニオ・パイス1917.12.11-1918.12.14 / ジョアン・ド・カント・エ・カストロ1918.12.14-12.23 / ジョアン・タマグニニ・バルボサ1918.12.23-1919.1.27 / ジョゼ・レルヴァス1919.1.27-3.30 / ドミンゴス・ペレイラ1919.3.30-6.29 / アルフレド・デ・サ・カルドソ1919.6.29-1920.1.21 / ドミンゴス・ペレイラ1920.1.21-3.8 / アントニオ・マリア・バプティスタ1920.3.8-6.6 / ジョゼ・ラモス・プレト1920.6.6-6.26 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1920.6.26-7.19 / アントニオ・グランジョ1920.7.19-11.20 / アルヴァロ・デ・カストロ1920.11.20-11.30 / リベラト・ピント1920.11.30-1921.3.2 / ベルナルディノ・マシャド1921.3.2-5.23 / トメ・デ・バロス・ケイロス1921.5.23-8.30 / アントニオ・グランジョ1921.8.30-10.19 / マヌエル・マリア・コエーリョ1921.10.19-11.5 / カルルシュ・マイア・ピント1921.11.5-12.16 / フランシスコ・クーニャ・レアル1921.12.16-1922.2.6 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1922.2.6-1923.11.15 / アントニオ・ジネスタル・マシャド1923.11.15-12.18 / アルヴァロ・デ・カストロ1923.12.18-1924.7.6 / アルフレド・ロドリゲス・ガスパール1924.7.6-11.22 / ジョゼ・ドミンゲス・ドス・サントス1924.11.22-1925.2.15 / ヴィトリノ・ギマランエス1925.2.15-7.1 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1925.7.1-8.1 / ドミンゴス・レイテ・ペレイラ1925.8.1-1926.12.17 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1925.12.17-1926.5.30 |
ディタドゥーラ・ナシオナル | ジョゼ・メンデス・カベサダス1926.5.30-6.17 / マヌエル・ゴメス・ダ・コスタ1926.6.17-7.9 / アントニオ・オスカル・カルモナ1926.7.9-1928.4.18 / ジョゼ・フレイタス1928.4.18-1929.7.8 / アルトゥル・イヴェンス・フェラーズ1929.7.8-1930.1.21 / ドミンゴス・オリヴェイラ1930.1.21-1932.7.5 |
エスタド・ノヴォ | アントニオ・サラザール1932.7.5-1968.9.27 / マルセロ・カエターノ1968.9.27-1974.4.25 |
第三共和政 | アデリーヌ・ダ・パルマ・カルルシュ1974.5.16-1974.7.18 / ヴァスコ・ゴンサルヴィシュ1974.7.18-1975.9.19 / ジュゼ・ピニェイル・ディ・アジヴェードゥ1975.9.19-1976.7.23 / マリオ・ソアレス1976.7.23-1978.8.29 / ノブリ・ダ・コシュタ1978.8.29-1978.11.22 / モタ・ピント1978.11.22-1979.7.7 / マリア・デ・ルルデス・ピンタシルゴ1979.7.7-1980.1.3 / フランシシュク・サ・カルネイル1980.1.3-1980.12.4 / ピント・パルセマン1981.1.9-1983.6.9 / マリオ・ソアレス1983.6.9-1985.11.6 / カヴァコ・シルヴァ1985.11.6-1995.10.28 / アントニオ・グテーレス1995.10.28-2002.4.6 / ドゥラン・バローゾ2002.4.6-2004.7.17 / サンタナ・ロペス2004.7.17-2005.3.12 / ジョゼ・ソクラテス2005.3.12-2011.6.21 / ペドロ・パッソス・コエーリョ2011.6.21-2015.11.26 / アントニオ・コスタ2015.11.26-2024.4.2 / ルイス・モンテネグロ2024.4.2-現在 |
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