ストリクトリー・パーソナル

ストリクトリー・パーソナル
キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドスタジオ・アルバム
リリース
録音 1968年4月25日-5月2日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ハリウッド サンセット・サウンド・レコーダーズ
レーベル ブルー・サム・レコード
プロデュース ボブ・クラスノウ
キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド アルバム 年表
セイフ・アズ・ミルク
(1967年)
ストリクトリー・パーソナル
(1968年)
トラウト・マスク・レプリカ
(1969年)
テンプレートを表示

ストリクトリー・パーソナル』(Strictly Personal)は、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド[注釈 1]が1968年に発表した2作目のアルバムである。

解説

経緯

キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドは、デビュー・アルバム『セイフ・アズ・ミルク』の制作後、脱退したライ・クーダー(ギター)の後釜にジェフ・コットンを迎えて[注釈 2]、1967年の10月と11月に"It Comes To You In A Plain Brown Wrapper"と名付けた新作アルバムを制作した。しかしブッダ・レコードはこの制作を中止させ、彼等が録音した音源を全てお蔵入りにした[1]

当時イギリスではジョン・ピールが輸入盤としてのみ販売されていた『セイフ・アズ・ミルク』に注目して、海賊放送局のラジオ・ロンドンの深夜番組"The Perfumed Garden"やBBCに新設されたポップ・ミュージックの放送局であるラジオ1の音楽番組"Top Gear"で頻繁に放送したので、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドは急速に有名になりレコード・ミラー誌に「イギリスで最も有名なアメリカのグループの一つ」とまで呼ばれた[2]。彼等はアメリカでは西海岸の地方グループに過ぎず東海岸で演奏したことすらなかったが、イギリスでの評判を受けて1968年1月18日にロンドンに行き、様々なライブ活動を行なった[注釈 3][3]。さらにフランスのカンヌに行き、ブッダ・レコードに所属する他のミュージシャンやバンドと共に国際音楽産業見本市のMIDEM[注釈 4]に参加した。しかしブッダ・レコードはバブルガム・ポップを商売の要とする方針を取り[注釈 5]、カンヌから帰国した彼等との契約を解除した[4]

セイフ・アズ・ミルク』をプロデュースし[注釈 6]、 "It Comes To You In A Plain Brown Wrapper"の制作でもプロデューサーの役割を果たしていたボブ・クラスノウは、ブッダ・レコードが差し押さえた音源に代わるものを彼等に新たに録音させて自分が設立したブルー・サム・レコードから発表することにした。彼等は1968年4月から5月にかけての8日間、クラスノウが予約したハリウッドのサンセット・サウンド・レコーダーズで本作を録音した。しかし、その少し前にヴァン・ヴリートが警察に逮捕勾留された[注釈 7]こともあって、リハーサルが殆んどできなかったまま録音に臨んだので、ヴァン・ヴリートやメンバーは"It Comes To You In A Plain Brown Wrapper"の録音に比べて出来映えは劣っていたと感じた[5]

彼等は本作の録音を終えると再びイギリスとヨーロッパに渡ってライブ活動を行なった[注釈 8][6]。帰国後、ギタリストのアレックス・セント・クレアとベーシストのジェリー・ハンドレーが相次いで脱退して[注釈 9]、オリジナル・メンバーはヴァン・ヴリートだけになった[7]。セント・クレアの後任にはメンバーのジョン・フレンチやコットンの知り合いだった当時19歳のビル・ハークルロードが6月末に選ばれた[8][9]。ヴァン・ヴリートはハンドレーの後任として、元ライジング・サンズのベーシストで『セイフ・アズ・ミルク』のデモ・テープのレコーディング・エンジニアを務めたゲイリー・マーカーを勧誘したが、マーカーは正式メンバーになることを断わって仮契約を結んで加入した[10]

この年、フランク・ザッパインディーズ・レーベルのビザール・レコードとストレイト・レコードを設立した[注釈 10]。ヴァン・ヴリートは旧友のザッパに制作の自由を保障された上でストレイト・レコードへの移籍を勧められ、クラスノウやブルー・サム・レコードと決別した[注釈 11][10]。そして8月、ヴァン・ヴリート、コットン(ギター)、ハークルロード(ギター)、フレンチ(ドラムス)の正式メンバーにマーカー(ベース・ギター)を加えた顔ぶれは、サンセット・サウンド・レコーダーズにザッパをプロデューサーに迎えて、新曲'Moonlight on Vermont'と'Veteran's Day Poppy'を録音した[注釈 12][11][12]。さらに彼等は、未発表だった本作を制作し直すために、収録曲の'Kandy Korn'を再録音したが、これは未完成に終わった。

10月、ブルー・サム・レコードから本作が発表された。収録曲の数曲にフェイザーによる大きな音響効果が施されており、ヴァン・ヴリートはクラスノウが自分の同意を得ずに勝手に音響効果を加えて作品を台無しにしたと、公にクラスノウを批判した[13]。ハークルロードは、ヴァン・ヴリートは従兄弟のヴィクター・ヘイデンから教えられるまで本作が発売されたことを知らずへイデンが持参したアルバムを聴いて激怒した、と著書に記した[14]。一方、マーカーは、ヴァン・ヴリートが自分の家に持ってきて聴かせてくれた音源には音響効果が施されており彼はそれを気に入っていた、と述べ、ヴァン・ヴリートの才能を讃えていたクラスノウが彼に無断でそのようなことをすることは考えにくいとした[15]。真実は不明である。

内容

'Safe as Milk'、'Trust Us'、'On Tomorrow'、'Gimme Dot Harp'、'Kandy Korn'は、1967年の10月と11月の"It Comes To You In A Plain Brown Wrapper"の制作時に録音された曲を再録音したものである。

ジャケットは、茶色の包装紙に差出人名が25th Century Quakerで受取人名がCaptain Beefheart and His Magic Bandと記されて、Strictly Personalという印とメンバーの顔写真を印刷した切手が押された郵便物を模している。彼等は"It Comes To You In A Plain Brown Wrapper"を、Captain Beefheart and His Magic Bandによる綿密なスタジオ録音の部と、25th Century Quakerという架空のバンドによるアヴァンギャルド・ブルースの即興演奏の部からなる二部構成にするように計画していた[16]。ジャケットはこの計画の名残りであろう。

収録曲

LP
Side One
全作詞・作曲: Don Van Vliet。
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「Ah Feel Like Ahcid」Don Van VlietDon Van Vliet
2.「Safe as Milk」Don Van VlietDon Van Vliet
3.「Trust Us」Don Van VlietDon Van Vliet
4.「Son of Mirror Man - Mere Man」Don Van VlietDon Van Vliet
合計時間:
Side Two
全作詞・作曲: Don Van Vliet。
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「On Tomorrow」Don Van VlietDon Van Vliet
2.「Beatle Bones 'n' Smokin' Stones」Don Van VlietDon Van Vliet
3.「Gimme Dat Harp Boy」Don Van VlietDon Van Vliet
4.「Kandy Korn」Don Van VlietDon Van Vliet
合計時間:
CD
全作詞・作曲: Don Van Vliet。
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「Ah Feel Like Ahcid」Don Van VlietDon Van Vliet
2.「Safe as Milk」Don Van VlietDon Van Vliet
3.「Trust Us」Don Van VlietDon Van Vliet
4.「Son of Mirror Man - Mere Man」Don Van VlietDon Van Vliet
5.「On Tomorrow」Don Van VlietDon Van Vliet
6.「Beatle Bones 'n' Smokin' Stones」Don Van VlietDon Van Vliet
7.「Gimme Dat Harp Boy」Don Van VlietDon Van Vliet
8.「Kandy Korn」Don Van VlietDon Van Vliet
合計時間:

参加ミュージシャン

Captain Beefheart and His Magic Band
  • Don Van Vliet – ヴォーカル、ハーモニカ
  • Alex St. Clair – ギター
  • Jeff Cotton – ギター
  • Jerry Handley – ベース・ギター
  • John French – ドラムス

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 1970年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドと改名。
  2. ^ 彼の前にジェリー・マギーが短期間在籍した。
  3. ^ スピークイージー・クラブやミドル・アースなどに出演し、ピールの"Top Gear"の為にBBCのスタジオでセッションを行なって『セイフ・アズ・ミルク』からの数曲を録音した。この音源は翌月に放送された。
  4. ^ Marché International du Disque, de l' Édition Musicale et de la Vidéo Musiqueの略。
  5. ^ プロデューサーのジェリー・カセネツとジェフリー・カッツが率いるスーパー・K・プロダクションを傘下に置き、1910フルーツガム・カンパニーらを売り出し始めた
  6. ^ リチャード・ペリーと共同でプロデュースした。
  7. ^ 自分が育ったランカスターを訪れた時に、真夜中に地元の若者達と小学校の校庭に侵入してマリワナを吸おうとして、警官に捕まった。その時に証拠隠滅の為にマリワナを飲み込んだので、声帯を痛めてしまった。
  8. ^ ロンドンではピールの番組の為に再びセッションを行ない、録音したばかりの新曲を披露した。放送時にピールは「新作アルバムを発表できず、メンバーは非常に困惑している」と述べた。
  9. ^ セント・クレアは1964年にバンドが結成された時に、ヴァン・ヴリートと共に中心的な役割を果たした。バンド名が1970年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドになったあと、彼は1972年の暮れに再加入して、『アンコンディショナリー・ギャランティード』(1974年)の制作に参加した。2006年死去。フレンチは、2010年に出版した"Beefheart: Through the Eyes of Magic"を彼に捧げた。
  10. ^ 二つの会社とも、ザッパとハーブ・コーヘンによって経営され、ビザール・レコードは主にザッパのザ・マザーズ・オブ・インヴェンションの作品を取り扱った。
  11. ^ コーヘンによると、移籍の手続きは半年を要した。
  12. ^ これらの新曲は次作『トラウト・マスク・レプリカ』に収録された。

出典

  1. ^ Barnes (2011), p. 48.
  2. ^ Barnes (2011), pp. 48–49.
  3. ^ Barnes (2011), pp. 49–53.
  4. ^ Barnes (2011), p. 54.
  5. ^ Barnes (2011), p. 55.
  6. ^ Barnes (2011), pp. 61–62.
  7. ^ Barnes (2011), pp. 63–65.
  8. ^ Harkleroad & James (2000), pp. 17–21.
  9. ^ Barnes (2011), p. 64.
  10. ^ a b Barnes (2011), pp. 66–67.
  11. ^ Harkleroad & James (2000), p. 23.
  12. ^ Barnes (2011), p. 67.
  13. ^ Barnes (2011), pp. 67–68.
  14. ^ Harkleroad & James (2000), pp. 23–24.
  15. ^ Barnes (2011), p. 68.
  16. ^ French (2010), pp. 295–296.

引用文献

  • Barnes, Mike (2011). Captain Beefheart: The Biography. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-78038-076-6 
  • French, John "Drumbo" (2010). Beefheart: Through the Eyes of Magic. London: Proper Music Publishing. ISBN 978-0-9561212-5-7 
  • Harkleroad, Bill; James, Billy (2000). Lunar Notes: Zoot Horn Rollo's Captain Beefheart Experience. London: Gonzo Multimedia Publishing. ISBN 978-1-908728-34-0 

関連項目

典拠管理データベース ウィキデータを編集
  • MusicBrainzリリース・グループ