タワン・タムロンナーワーサワット

タワン・タムロンナーワーサワット
ถวัลย์ ธำรงนาวาสวัสดิ์
生年月日 1901年11月21日
出生地 シャム アユタヤ県
没年月日 (1988-12-03) 1988年12月3日(87歳没)
死没地 タイ王国の旗 タイ王国 バンコク
所属政党 人民党
サイン

在任期間 1946年8月23日 - 1947年11月8日
国王 ラーマ9世
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タワン・タムロンナーワーサワット(タイ語:ถวัลย์ ธำรงนาวาสวัสดิ์、1901年11月21日 - 1988年12月3日)は、タイ王国の軍人、政治家。

経歴

アユタヤウィッタヤーライ学校チュラーロンコーン大学、テブシリン学校で学び、1918年に教員研修を受けたが不合格となる。その後、タイ王国海軍士官学校に入学。卒業後、海軍少将となった。

1932年、人民党に入党し、立憲革命に参加した。1935年ラーマ7世が退位した際には、スイスに滞在していたアーナンタヒマドン親王(ラーマ8世)をタイに招待する役割を担った。

第二次世界大戦中は抗日運動である自由タイ運動の主要メンバーとして活動。戦後、1946年8月23日に首相に就任したが、翌年11月8日クーデター(タイ語版、英語版)により辞任した[1]

辞任後は香港に亡命。タイに帰国後、憲法起草委員会の委員を務めた。

脚注

  1. ^ “ปิดตำนาน นายกฯ ลิ้นทอง พล.ร.ต.ถวัลย์ ธำรงนาวาสวัสดิ์”. 2024年3月11日閲覧。

関連項目

タイ王国の旗 タイ王国首相(1946-1947)
ラーマ7世時代
ラーマ8世時代
ラーマ9世時代

タワン・タムロンナーワーサワット / クアン・アパイウォン / プレーク・ピブーンソンクラーム / ポット・サーラシン / タノーム・キッティカチョーン / サリット・タナラット / タノーム・キッティカチョーン / サンヤー・タンマサック / セーニー・プラーモート / ククリット・プラーモート / セーニー・プラーモート / ターニン・クライウィチエン(英語版) / クリエンサック・チョマナン(英語版) / プレーム・ティンスーラーノン / チャートチャーイ・チュンハワン / アナン・パンヤーラチュン / スチンダー・クラープラユーン / ミーチャイ・ルチュパン(英語版) (*) / アナン・パンヤーラチュン / チュワン・リークパイ / バンハーン・シラパアーチャー / チャワリット・ヨンチャイユット / チュワン・リークパイ / タクシン・チナワット / ソンティ・ブンヤラットカリン (*) / スラユット・チュラーノン / サマック・スントラウェート / ソムチャーイ・ウォンサワット / チャワラット・チャーンウィーラクーン(英語版) (*) / アピシット・ウェーチャチーワ / インラック・シナワトラ / ニワットタムロン・ブンソンパイサン(*) / プラユット・チャンオチャ

ラーマ10世時代
(*)は代行もしくは暫定。
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