チャールズ3世 (イギリス王)

曖昧さ回避 チャールズ3世」はこの項目へ転送されています。かつてチャールズ3世を名乗った王位請求者については「チャールズ・エドワード・ステュアート」をご覧ください。
チャールズ3世
Charles III
イギリス国王
公式肖像(2023年)
在位 2022年9月8日 - 在位中
戴冠式 2023年5月6日
ウェストミンスター寺院
別号
首相

全名 Charles Philip Arthur George
チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ
出生 (1948-11-14) 1948年11月14日(75歳)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドンバッキンガム宮殿
配偶者 ダイアナ・フランセス[1]
(1981年 - 1996年)
  カミラ・シャンド
(2005年 - 現在)
子女 ウィリアム
ヘンリー
家名 マウントバッテン=ウィンザー家
王朝 ウィンザー朝
王室歌 国王陛下万歳(イギリス国歌と同一)
父親 エディンバラ公爵フィリップ王配
母親 エリザベス2世
宗教 キリスト教イングランド国教会
テンプレートを表示
イギリス王室



  • グロスター公爵リチャード王子
    グロスター公爵夫人バージット
  • ケント公爵エドワード王子
    ケント公爵夫人キャサリン
  • アレクサンドラ王女
  • マイケル王子
    マイケル王子妃マリー=クリスティーヌ

チャールズ3世(チャールズさんせい、Charles III 1948年11月14日 - )はイギリスウィンザー朝第5代国王(在位: 2022年9月8日 - )、その他14か国の英連邦王国及び王室属領・海外領土の君主イングランド国教会首長(英語版)。全名はチャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージCharles Philip Arthur George)。日本語では「チャールズ国王(チャールズこくおう)」と表現される場合が多い。

エリザベス2世の在位中は、長らく皇太子(第21代プリンス・オブ・ウェールズ)であった。イギリス陸海空軍元帥[2]。公邸はクラレンス・ハウス

弟は、ヨーク公爵アンドルー王子、エディンバラ公爵エドワード王子。妹は、プリンセス・ロイヤル・アン。ジョージ5世の曾孫、エドワード7世の玄孫、ヴィクトリア女王の来孫、ジョージ3世の仍孫、プリンス・オブ・ウェールズフレデリック・ルイスの雲孫である。

経歴

生誕

エディンバラ公フィリップと同公爵夫人エリザベス王女(いずれも当時)の(3男1女のうち)第一子・長男としてバッキンガム宮殿にて1948年11月14日に誕生。12月15日には宮殿内で洗礼を受けた。「国王の女系/母系子孫は王子・王女の称号を与えられない」というのがイギリス王室の原則であったが、チャールズの場合は次期女王の長男であり将来国王になることが確実であったため、ジョージ6世国王は自身の初孫でもあったチャールズを王子とする勅令を出した。

また、誕生時の姓は「ウィンザー (Windsor)」だったが、1960年に母のエリザベス2世女王は、父のエディンバラ公爵フィリップ王配との間に誕生した子の姓を「マウントバッテン=ウィンザー[3]」とする枢密院令を出した。

王位継承者

幼少期のチャールズ(右端)と両親、妹のアン王女との家族写真(1957年)

祖父・ジョージ6世国王が1952年2月6日に崩御し、同日に母・エリザベス王女が即位してイギリス女王エリザベス2世)になると、第一王子チャールズは法定推定相続人として王位継承順位が1位となり、それに付随して、「コーンウォール公爵」ならびに「ロスシー公爵」の称号を得た。1958年には、女王エリザベス2世からガーター勲章が授与され、「チェスター伯爵」と「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を得ることにより、立太子された。

教育

幼少時から将来のイギリス国王となるべく、父フィリップの意向で厳しい教育を受けた。特に「息子にも自身の母校に通わせたい」という父の勧めでバークシャーのグラマースクールやスコットランドゴードンストウン校で、中産階級の児童らと就学したことが多かったが、当然の事ながら階級社会のイギリスにおいてチャールズと同一階層の生徒が一人もいなかったため、いじめやからかいの対象になってしまった。この経験が原因で、自分が父親となったときは2人の息子、ウィリアム王子とヘンリー王子を上流階級が多数を占めるイートン・カレッジに通学させたとも言われている。 1966年にはオーストラリアのジーロン・グラマー・スクールに2学期ほど留学し、後にオーストラリアでの思い出が一番だったとの振り返りをしている。

青年時代

1966年には、アストンマーティンの工場を訪問した母女王より同社の「DB6 ヴォランテ」を誕生日プレゼントに贈られた。その後も同社のモデルを愛用し、後に同社にワラントを下賜している。

1967年10月に、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した。在学2年目には、ウェールズ語歴史を学習するためにウェールズ大学に入学している。1968年には21歳で皇太子としての叙任式を行った。1970年にはイギリス議会上院の貴族院に議席を得ている。

軍歴

ノルウェー訪問時(1969年)
スペイン訪問時(1973年)

ケンブリッジ大学への入学後に、イギリス王室の習慣に則りイギリス海軍イギリス空軍に入隊した。1971年3月以降に、イギリス海軍のデ・ハビランド・カナダ DHC-1BAC ジェット・プロヴォストでの飛行訓練を経て、小型ターボプロップ機のホーカー・シドレー・アンドーヴァーや、王室専用機で中型ジェット輸送機のBAe 146の操縦も行っている。

またダートマスのイギリス海軍学校での訓練を経て、イギリス海軍駆逐艦の「ノーフォーク(英語版)」や「ミナーヴァ(英語版)」、「ジュピター」への乗務を行った。1976年2月には掃海艇ブロニントン(英語版)の艇長となった[4]

慈善事業と環境問題

この頃より国内の貧困問題解決にも取り組んでおり、1976年には、イギリスの貧困層の若年者に対する学業の機会や職業訓練を与えることを目的に活動する「ザ・プリンス・トラスト」を立ち上げた。チャールズ皇太子自らが、特にイギリス連邦諸国からの移民の貧困問題解決に取り組む活動に対して、様々な形での支援を行っている。

また環境問題にも強い関心を抱いており、自身の私的な不動産であるコーンウォール公領では、有機食品を生産している。また、自らが所有するハイグローブの別荘で栽培された農産物を使用している。さらに、自ら所有する家庭菜園でも有機農法を実践している[5]など、自ら様々な形でそれを実践している。

ルイス・マウントバッテンの死

アメリカ合衆国訪問時(1981年)

1979年8月に、自身の大叔父でもあり幼少時より慕っていた海軍元帥でもあるルイス・マウントバッテン(チャールズ3世の父方祖母アリス・オブ・バッテンバーグの弟)が、休暇に訪れていたアイルランド北西部のドネゴール湾で、ヨットで出航直後にIRA暫定派の仕掛けた爆弾により爆破され死亡した。これにチャールズは大きなショックを受けたと言われている。

マウントバッテンの突然の死に気を落としたものの、1980年7月にサセックスペットワース(英語版)近くのカントリー・ハウスバーベキューをしていた際にマウントバッテン卿の死を悲しんでいる皇太子を、スペンサー伯爵令嬢ダイアナ・フランセスが「貴方の寂しさは理解できるし、貴方には誰かが必要だ」と慰めたことに心打たれ[6]、その後に交際することになる。

ダイアナとの結婚

詳細は「:en:Wedding of Prince Charles and Lady Diana Spencer」を参照

1981年2月6日にチャールズがウィンザー城でダイアナに求婚した。チャールズは「スキー旅行に出てる間、どんなに貴女に会いたかったことか」と述べたうえで「私と結婚してほしい」と簡潔に求婚したが、ダイアナは「冗談だと思って笑っていた」という。チャールズは真剣な求婚であることを強調し、「貴女はいつの日か王妃となるのだ」と述べたという。ダイアナはこのプロポーズを受け入れた[7]

チャールズの決定により皇太子の結婚式は1981年7月29日セント・ポール大聖堂で挙行されることになった。祝典は実質的に結婚式前夜の7月23日夜から始まっていた。ハイド・パークでは1万2000発の花火が打ち上げられ、国中がお祭り騒ぎになった。イギリスがこれほど全国民あげての祝賀ムードに包まれたのは1953年のエリザベス2世戴冠式以来のことであったという[8]

セント・ポール大聖堂には世界中の王族や元首などが集合していた。日本皇室からは皇太子明仁親王美智子皇太子妃(いずれも当時)が、アメリカ合衆国からはファーストレディ(大統領夫人)のナンシー・レーガンが参列した。この結婚式の模様はテレビ中継され、全世界70か国の7億5000万人もの人々が視聴し見守っていた。日本ではNHKが午後5時35分から午後6時40分まで放送[9]

新婚旅行は王室専用ヨット「ブリタニア号」での地中海エーゲ海クルージングだった[10]。マスコミに追跡されないよう王立海軍の協力を得て極秘裏に行われた。マスコミはギリシャに飛んで皇太子夫妻を探し回ったが、ついに発見できなかった[11]

結婚生活

ロナルド・レーガン及びナンシー・レーガン米大統領夫妻並びにチャールズ皇太子及びダイアナ同妃(1985年11月)
弟の一人、ヨーク公アンドルー王子の結婚パレードの際のチャールズとダイアナ(1986年7月)

その後チャールズは、妃のダイアナとともに日本インド、アメリカ合衆国やスペインなど世界各国を訪問したほか、多くの王室の公式行事のみならず、民間の行事にも共に参加している。また1982年には第1子(長男)のウィリアムが、また1984年には第2子(次男)のヘンリーと2人の王子が誕生するなど一見、2人の関係は良好に続いていくかに見えた。

しかし、ダイアナは窮屈な王室のしきたりに馴染めず、またチャールズの音楽の趣味や狩猟などの保守的な趣味に対して否定的であり、夫婦相互の溝は広がりつつあった。なお後のダイアナの発言によれば「1984年に次男ヘンリーが生まれた時点で、気持ちの上での2人の関係は終わっていた」という[12]

実際に、チャールズは1985年から1986年にかけてコーンウォール公領のハイグローヴ邸で居住することが増えた。1987年にはケンジントン宮殿はチャールズ不在状態が常態化してダイアナが事実上の女主人になっていたという[13]。同年の皇太子夫妻のポルトガル訪問にも夫妻は別々に寝所をとっている[12]

チャールズは婚約以来カミラ・パーカー・ボウルズとの関係を断っていたが、この頃から交際を再開するようになった[14][15]。さらにダイアナも複数の男性との不倫を繰り返した。この様な中でダイアナは、1992年10月の大韓民国訪問の際、チャールズと一緒にいる時は不機嫌そうな顔で、一緒にいない時はにこやかな顔でマスコミの撮影に応じたのだった[16]

その後チャールズとダイアナの合意により、1992年12月9日に「皇太子と同妃が別居生活に入ること」が正式に発表された[17][18]。ダイアナが暮らすケンジントン宮殿からはチャールズの私物や痕跡が取り払われ、一方チャールズが暮らすハイグローヴ邸からはダイアナの私物や痕跡が取り払われていった。その後1993年12月3日に、ダイアナは「王室における公務からの引退」を宣言した[19]

離婚と死別

ダイアナの葬儀

1996年2月28日にチャールズとの会見を終えたダイアナは、「離婚の合意に達したこと」を発表した。その中で彼女は「今後も実の母親として王子2人の養育に関する全てに携わり続け、またプリンセス・オブ・ウェールズの称号を維持し、ケンジントン宮殿にも留まり、セント・ジェームス宮殿にある執務室も運営し続ける」旨を主張した。その後もダイアナとの離婚交渉は4カ月にわたって続いたが、8月28日の離婚確定判決をもって正式にチャールズとダイアナの結婚生活は幕を閉じた[20]

その後ダイアナはハスナット・カーンドディ・アルファイドとの二股交際を行ったほか、チャールズのテレビ出演や伝記出版の反撃に、チャールズとの関係や王室への批判のためにマスコミに出演した。なおその後1997年8月31日パリで交際相手のアルファイドとともに交通事故死したが、この際にチャールズはダイアナの姉妹とともにパリへ移動している。ダイアナがパパラッチによる過剰な報道から逃避するがために法定速度を超過した自動車に同乗していて事故死したことや、その後も自身や2人の王子に対する過剰報道が続いたこともあり、チャールズは報道機関に2人の王子に対する報道の自粛を要請。イギリスの各報道機関との間で協定が結ばれた[要出典]

香港返還と中国対応

ブリタニア号

このような状況下でもチャールズは公務を続け、1997年6月30日香港の返還・譲渡式典や、駐香港イギリス軍の撤収式典にクリストファー・パッテン総督らとともに参加し、翌日、かつてダイアナと同乗したヨット「ブリタニア号」で中国領となった香港を離れている。

なおチャールズはリベラルな発言・行動で知られており、特に中国共産党一党独裁国家である中華人民共和国には冷ややかな態度をとっている。香港返還式典の際には、チャールズが日記で中国共産党の上層部を「恐ろしく古びたろう人形のようだ」と表現していた[21][要出典]ことが話題となった。1999年に中国の江沢民国家主席がイギリスを公式訪問した際、チャールズ皇太子は、中国政府側が駐英中国大使館で開催した答礼夕食会を意図的に欠席したとされている。

また同国が軍事侵略したチベットには長年強い関心を寄せており、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世とも交流がある[22]2008年1月には、世界の要人でいち早く、北京オリンピックの式典・競技に一切出席しない意向を民間団体に表明したことが明らかになった[23]。同年3月に中国が実効支配しているチベット自治区において争乱が生じた際には、3月20日に5月頃ダライ・ラマ14世と会談することが公表された。

カミラとの再婚

詳細は「:en:Wedding of Prince Charles and Camilla Parker Bowles」を参照
ジョージ・W・ブッシュ及びローラ・ブッシュ米大統領夫妻並びにチャールズ及びカミラ夫妻(2005年11月)

イングランド国教会にはその首長たる国王が離婚経験者と結婚する事を認めない規定があり[24]、実際、エドワード8世は離婚歴のあるウォリス・シンプソンと結婚するために退位している。 しかし、元妃の死後、チャールズは、カミラと公然と交際するようになり、2005年4月8日ウィンザー城礼拝堂で正式に婚姻を結ぶことが発表された。教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀と重なったため4月9日に日取りを繰り延べた。後妻のカミラは、前妻・故ダイアナ妃に配慮し、プリンセス・オブ・ウェールズ(皇太子妃)ではなく「コーンウォール公爵夫人」と呼称するとした[25]


多くのイギリス国民の間では「スキップ・チャールズ」とも言われ、ダイアナの死の直後は「エリザベス2世没後の王位は息子のチャールズではなく、孫のウィリアム王子が継承すべきだ」とする世論が多数を占めた。10年後の2007年の時点ではチャールズとカミラに対する印象は好転し[26]、2022年3月に行われた世論調査では43%がチャールズを好意的に見ているものの、ウィリアム王子に王位を譲るべきと考える人はなおも42%を占めた[27]

2010年代から即位まで

バッキンガム宮殿のバルコニーに立つチャールズ(2012年6月)

2011年4月20日には、皇太子の在任期間が7001590000000000000♠59年73日となり、これまで最長であった高祖父のエドワード7世の記録を抜いて歴代1位となった。一方、チャールズがプリンス・オブ・ウェールズに叙されたのは9歳8ヶ月の時だったため、その後も生後すぐに叙されたエドワード7世の方がプリンス・オブ・ウェールズとしての期間が最も長かった(7001590000000000000♠59年45日)。だが、この記録も2017年9月9日にチャールズによって更新された。

国内外で活発に公務を行っており、2013年2014年2015年と3年連続でサウジアラビアを訪問した。また、2015年5月にはカミラとともに初めてアイルランドを公式訪問した。

なお将来イングランド国教会の首長に就く立場ではあるが、他の宗教に対しても寛容な姿勢で知られており、イギリス国内におけるイスラム教の研究に様々な貢献を行っている。

2020年3月25日、2019新型コロナウイルスの検査で陽性(1回目)となったが、軽症と伝えられた[28]

2021年2月10日、公邸は、チャールズとカミラが、新型コロナウイルスワクチンの1回目の接種を受けたと発表。

2022年2月10日、クラレンス・ハウスは、チャールズが新型コロナウイルスの検査で陽性(2回目)と確認されたと発表した。クラレンス・ハウスは、チャールズが、新型ウイルスのワクチンを2回接種し、ブースター接種(3回目)も済ませていたと説明。

母エリザベス2世の崩御および自身の国王即位

チャールズ3世の即位の布告(英語版)」および「チャールズ3世とカミラの戴冠式」も参照
エリザベス2世の没後6日目、ウェストミンスター・ホールに向かう葬列の中のチャールズ

即位する前の世論調査では、チャールズに好感を抱くイギリス国民の割合は42パーセント[29]であり、2018年に、BMGリサーチによって行われた世論調査によれば、46パーセントのイギリス人が、「チャールズが即位後可及的速やかに退位して、長男のウィリアム王子に譲位すべき」と考えている事が判明した[30]。2021年に行われた世論調査によれば、イギリス国民の60パーセントが彼に好感を抱いていると報じられた[31]

2022年9月8日、母エリザベス2世女王の崩御に伴い、同日に国王『チャールズ3世 (Charles III)』として即位した[32]。73歳の彼が国王に即位した事により、1830年に64歳で即位したウィリアム4世の国王最高齢即位の記録が更新された[33]。また、皇太子としての在位期間は70年234日に及び、世界史上歴代1位かつ最長記録更新となった。また、女王(女性国王)から男性国王への代替わりによってイギリス国歌が「女王陛下万歳 (God Save the Queen)」から「国王陛下万歳 (God Save the King)」に変更された。

チャールズの戴冠式の計画は、「ゴールデン・オーブ(金の宝珠)作戦」というコードネームのもとで練られていた。有力貴族やその他の高官によって構成された委員会の議長は、軍務伯の地位を世襲している第18代ノーフォーク公爵エドワード・フィッツアラン=ハワードで、憲政上、チャールズや女王の秘書官から独立した存在である[34]。チャールズの戴冠式は2023年5月6日にロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われることとなり[35]1953年6月2日に行われたエリザベス2世の戴冠式に比べて、規模が縮小された簡素な式典になると報道された[36]

9月9日18時(英国夏時間)、チャールズは即位後国民に向けた初めてのテレビ演説を行い、自身の母親の死を悼むとともに長男のウィリアム王子をプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)に叙する事を表明した[37]

2日後の9月10日には、セント・ジェームズ宮殿リズ・トラス首相、枢密院メンバー、イギリス連邦諸国の代表、首相経験者6人(ジョン・メージャートニー・ブレアゴードン・ブラウンデーヴィッド・キャメロンテリーザ・メイボリス・ジョンソン)などから構成される「王位継承評議会(英語版)」が開催され、正式に即位が布告された[38][39][40]。その9日後の9月19日、母・エリザベス2世の国葬ウェストミンスター寺院で執り行われ、イングランド国教会首長(英語版)として参列した。

10月25日にはトラス首相の辞任に伴い、バッキンガム宮殿で自身の即位後で最初の首相任命をリシ・スナク保守党党首に対して行う[41]11月22日には南アフリカ共和国大統領シリル・ラマポーザが訪英[42]。スナク首相らと共に迎え、自身の即位後で初となる外国首脳の公式訪問を受けた[42]12月6日にはロンドン近くにて市民と交流中だったところ20歳の男に卵を投げつけられたとみられる事件が発生した[43]

12月25日、自身の即位後初の国民向けのクリスマスビデオメッセージを送った[44][45]

戴冠式を終えたチャールズとカミラ

2023年5月6日ウェストミンスター寺院で自身とカミラの戴冠式が執り行われた。日本からは秋篠宮文仁親王同妃紀子が参列した[46]。また、天皇徳仁皇后雅子からの祝電が送られた[47]。式典には王族に加え、首相経験者及び各国の君主や首脳ら2千人超が参列した。ウクライナ侵略に伴い英国政府の制裁対象になっているロシアベラルーシは招待されなかった。式典では、国王チャールズ3世は英国とイギリス連邦の統治を「厳粛に約束する」と宣誓した。イングランド国教会における最高位聖職者カンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビーからイギリス王室の至宝「聖エドワード王冠」を授かり、妻のカミラ王妃も冠をかぶった。最も神聖とされる君主に聖なるを塗る儀式も執り行われた。また、国王の意向でキリスト教以外の宗教代表が初めて式の進行に携わった。ヒンドゥー教徒であるリシ・スナク首相が聖書朗読を行い、女性聖職者が新約聖書の一部を読み上げるなど「多様性」を重視する試みを打ち出した。式典終了後、国王・王妃は歴代国王が使用した豪壮な馬車「ゴールド・ステート・コーチ」に乗り、バッキンガム宮殿に戻った。馬車に随伴して計7千人のイギリス軍兵士らがパレードした。その後、国王は王妃らと宮殿のバルコニーに現れ、集まった国民に手を振った。軍楽隊や騎兵隊、700年の歴史を持つ木製の戴冠式用椅子、国王に油を塗るための古いスプーンなど多くの伝統や道具が用いられた。英国の戴冠式は、王位継承に伴い君主が王冠をかぶる伝統儀式で過去約1千年にわたって開かれてきたが、記録的なインフレーションによる国民の生活苦に配慮し、母・エリザベス2世の式典より招待客数を減らして時間を短縮するなど簡素化が図られた[48][49]

2024年1月、前立腺肥大症の治療を受けていたチャールズの、健康上の問題が公に表面化。同年2月5日夜、がん(膵臓がん)と診断されたと発表。また、ベル麻痺を特徴とする健康危機と戦っていることを、王室内部関係者が報告。チャールズは、表だった公務を停止し、集中的な治療を開始した。2024年4月26日、治療と並行し公務に復帰すると発表された[50]

その他のスキャンダル

  • 1992年、ダイアナ妃との離婚が発表されてから間もない頃、チャールズがカミラに「君のズボンのなかで暮らしたい」と言うと、カミラは「パンツになりたいの?」と聞き返し、そしてチャールズが「神様お許しください、僕は君のタンパックス(タンポン)」になりたい」などと発言した「タンパックス・ゲート(またの名をカミラ・ゲート) (en:Tampongate scandal」とも呼ばれるカミラとの会話テープが、オーストラリアドイツのメディアでは全部、母国イギリスでは部分的に放送され、暴露された[51][52][53][54]
  • サンデー・タイムズは2022年7月31日、チャールズが2013年ごろ、ウサマ・ビン・ラディン容疑者の異母兄弟から、100万ポンドの寄付を受け取ったと報じた[55][56]。この際、チャールズは、側近の忠告をまったく聞き入れなかったという[57]

訪日歴

皇太子時代に以下の計5回、訪日している[58]

称号・呼称

詳細は「チャールズ3世の称号と栄典(英語版)」を参照
A logo with "CR III" and a crown
2022年9月に発表されたチャールズ3世のロイヤル・サイファー。テューダー王冠を戴いている。[59]

イギリスにおける称号・呼称

チャールズ3世は、イギリスを含め15の国家(英連邦王国)の国王・元首かつコモンウェルス首長イギリス連邦の長)、イングランド国教会首長(信仰の擁護者)である。そして、英連邦王国(レルム)各国で異なる正式称号を所有している。

そのうち、イギリス(王室属領海外領土も含む)における正式称号は以下のものである。

呼称の変遷

  • 1948年11月14日 - 1952年2月6日(7000300000000000000♠3年84日)
    • チャールズ・オブ・エディンバラ王子殿下 (His Royal Highness Prince Charles of Edinburgh)
  • 1952年2月6日 - 2022年9月8日(7001700000000000000♠70年234日)
    • コーンウォール公爵殿下 (His Royal Highness The Duke of Cornwall)
  • スコットランドにおける呼称:1952年2月6日 - 2022年9月8日(7001700000000000000♠70年234日)
    • ロスシー公爵殿下 (His Royal Highness The Duke of Rothesay)
  • 1958年7月26日 - 2022年9月8日(7001640000000000000♠64年64日)
    • プリンス・オブ・ウェールズ殿下 (His Royal Highness The Prince of Wales)
    • 正式称号:プリンス・オブ・ウェールズ及びチェスター伯爵コーンウォール公爵ロスシー公爵、キャリック伯爵、バロン・オヴ・レンフルーヘブリディーズ諸島領主(英語版)スコットランド公(英語版)及びスコットランド大家令(英語版)ガーター勲章ロイヤル・ナイト・コンパニオン、シッスル勲章ロイヤル・ナイト・コンパニオン、バス勲章ナイト・グランド・クロス、メリット勲章メンバー、オーストラリア勲章ナイト、女王功績勲章コンパニオン、枢密顧問官、女王陛下付侍従武官、チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ王子殿下
      His Royal Highness The Prince Charles Philip Arthur George, The Prince of Wales and The Earl of Chester, The Duke of Cornwall, The Duke of Rothesay, The Earl of Carrick, The Baron of Renfrew, Lord of the Isles, The Prince and Great Steward of Scotland, Royal Knight Companion of the Most Noble Order of the Garter, Royal Knight Companion of the Most Ancient and Most Noble Order of the Thistle, Knight Grand Cross of the Most Honourable Order of the Bath, Member of the Order of Merit, Knight of the Order of Australia, Companion of the Queen's Service Order, Member of Her Majesty's Most Honourable Privy Council, Aide-de-Camp to Her Majesty
    • ※日本国政府では、プリンス・オブ・ウェールズを「英国(又は連合王国)皇太子」等と呼称する。[60]
  • 2022年9月8日 - 現在(7000100000000000000♠1年247日)
    • 国王陛下 (His Majesty The King)
    • 神の恩寵によるグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国およびその他のレルムと領土の国王、コモンウェルス首長、信仰の擁護者(By the Grace of God, of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of His other Realms and Territories King, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith)

即位後の呼称について

皇太子時代、将来の王名としては「『ジョージ7世(George VII)』を希望している」との説があった[61]。2005年には「『ジョージ7世』名の採用を内々で検討している」と報道されたが、王宮はこの報道を否定し、当時は「王名についての検討は行ってない」としていた[62]。チャールズ1世と2世が既に存在するため、チャールズを名乗った場合には3世となるが、18世紀にジャコバイトに支持されて王統奪還を目指した若僭王も「チャールズ3世」を自称(僭称)した歴史がある。最終的に即位の際、「チャールズ3世(Charles III)」と名乗ることがバッキンガム宮殿から発表された[63]

  • 元妃(前妻):ダイアナ・フランセス(1981年 - 1996年、1997年死去、子女:2男)- 第8代スペンサー伯爵エドワード・ジョン・スペンサーの三女。
    • 第1子 (第1王子):ウィリアム(1982年6月21日 -) - 皇太子
    • 第2子 (第2王子):ヘンリー(1984年9月15日 - ) - サセックス公
  • 王妃(妻):カミラ・シャンド(2005年 - 現在、子女:無し)- イギリス陸軍少佐ブルース・シャンドの長女。

子女

前妻のダイアナ元妃との間に儲けた2男がいる。また、5人(3男2女)の孫がいる。

生年月日 結婚 子女
年月日 配偶者
ウィリアム皇太子 (1982-06-21) 1982年6月21日(41歳) 2011年4月29日 キャサリン・ミドルトン ジョージ・オブ・ウェールズ王子
シャーロット・オブ・ウェールズ王女
ルイ・オブ・ウェールズ王子
サセックス公爵ハリー王子 (1984-09-15) 1984年9月15日(39歳) 2018年5月19日 メーガン・マークル

人物

  • 歴史的建造物の保存や都市景観の問題に関心が深く、『英国の未来像 建築に関する考察』[64] を著して、ロンドンのシティ・ホールやロイズ保険ビル、HSBCタワーなどの近代的な建築物のデザインを批判し、歴史的建造物の保存への関心を高めるよう提唱した。また、同名のドキュメンタリー番組に自ら出演し、日本ではNHKが1989年4月18日に『チャールズ皇太子・現代建築への提言』の題名で放送した。
  • 1992年に創設したイギリスの有機食品ブランドダッチー・オリジナルズ(英語版)[65]オーナーである。動物愛護の観点から2008年3月に自邸でのフォアグラの使用を禁止した[66]
  • ファーストフードに非常に批判的であり、2006年2月27日には訪問先のアラブ首長国連邦で「糖尿病対策としてマクドナルドを禁止すべきだ」と発言し、物議を醸した。これに対しては、多くの国民から「一度もビッグマックを口にしたことがないと思われる皇太子が、このようなコメントを発表するのは間違っており愚かなことだ」と批判された[67]
  • 科学的な根拠が全くない疑似科学であるホメオパシーハープ療法など代替医療を強く支持している。ホメオパシーはイギリスにおいて深刻な社会問題となっており、「非科学的」と政府が指摘しているが多くの英国民に支持されている。政府は代替医療の保険適用を中止する検討会を開催していたが、チャールズは2009年に8つの政府機関へホメオパシーに対するNHSの保険適用の拡充を訴えるレターを送り、さらに2010年には閣僚との秘密裡の会談でも同様の主張をおこなった。政策への関与が禁止されているロイヤルファミリーの一員が影響力の行使を企てたこと、将来君主となる人物が疑似科学を信奉していることが強く批判されている[68][69]。チャールズは1993年に代替医療の推進を目標とする団体プリンスズ・ファンデーション・フォー・インテギュレティド・ヘルス[70] を立ち上げたが、元責任者が詐欺とマネーロンダリングの疑いで逮捕され、団体もこの犯罪に利用されていたことが判明したため2010年に解散した[71]。日本における代替医療の賛同者はチャールズの音頭により5か年計画で国家レベルでの代替医療の研究が進められているとしている[72]
  • スーツ及びタキシード等のジャケットはダブルブレストのものを好んで着用する。
  • 2012年5月10日英国放送協会の60周年記念で訪れた皇太子が天気予報のコーナーに出演した[73][74][75]この時、王室に関係の深い地域の天気予報も表示された。
  • 2016年9月15日スコットランドの王室所有のバルモラル城敷地内で乗用車を運転中にシカと衝突する交通事故を起こしたことが、英国内の報道で明らかとなった[注 1]。チャールズ自身の運転は非常に慎重だったが、シカは突然道路に侵入してくる場合が多いので避けきれなかった可能性が指摘されている。この事故でチャールズが運転していた「アウディ・A4・オールロードクワトロ」は大破したが、チャールズ自身は命に別条はなかったという[76][77]

御用達ブランド

チャールズがロイヤル・ワラント(御用達指定)を与えたブランド(一部)。2017年3月時点では、合計159社がワラントを授与されている。

系譜

チャールズ3世の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. デンマーク国王クリスチャン9世
 
 
 
 
 
 
 
8. ギリシャ国王ゲオルギオス1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. ヘッセン=カッセル方伯女ルイーゼ
 
 
 
 
 
 
 
4. ギリシャ及びデンマーク王子アンドレアス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. ロシア大公コンスタンチン・ニコラエヴィチ
 
 
 
 
 
 
 
9. ギリシャ王妃・ロシア大公女オリガ・コンスタンチノヴナ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. ロシア大公妃・ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ
 
 
 
 
 
 
 
2. エディンバラ公フィリップ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. ヘッセン大公子アレクサンダー
 
 
 
 
 
 
 
10. バッテンベルク公子・ミルフォード=ヘイヴン侯爵ルイス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. バッテンベルク侯妃ユリア・ハウケ
 
 
 
 
 
 
 
5. バッテンベルク公女アリス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. ヘッセン大公ルートヴィヒ4世
 
 
 
 
 
 
 
11. ヘッセン大公女ヴィクトリア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. ヘッセン大公妃・イギリス王女アリス
 
 
 
 
 
 
 
1. イギリス国王チャールズ3世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. イギリス国王エドワード7世
 
 
 
 
 
 
 
12. イギリス国王ジョージ5世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
25. イギリス王妃・デンマーク王女アレクサンドラ
 
 
 
 
 
 
 
6. イギリス国王ジョージ6世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. テック公フランツ
 
 
 
 
 
 
 
13. イギリス王妃・テック公女メアリー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
27. テック公妃・ケンブリッジ公女メアリー・アデレード
 
 
 
 
 
 
 
3. イギリス女王エリザベス2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. ストラスモア伯爵クロード
 
 
 
 
 
 
 
14. ストラスモア伯爵クロード・ジョージ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. ストラスモア伯爵夫人フランシス・ドーラ・スミス
 
 
 
 
 
 
 
7. イギリス王妃・ストラスモア伯爵エリザベス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. チャールズ・キャヴェンディッシュ=ベンティンク牧師
 
 
 
 
 
 
 
15. ストラスモア伯爵夫人セシリア・ニーナ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. キャロライン・ルイーザ・バーナビー
 
 
 
 
 
 
  • 母方の高祖父・エドワード7世と父方の高祖母・アリスが兄妹(イギリス女王ヴィクトリアの子女)。
  • 母方の高祖母・アレクサンドラと父方の曾祖父・ゲオルギオス1世が姉弟(デンマーク国王クリスチャン9世の子女)。

系図

  • 赤枠の人物は、存命中。
  • 黒枠の人物は、故人。
  • 太枠の人物は、イギリス君主の子女。
ウィンザー朝の家系図
国王
ジョージ5世
王妃
メアリー
国王
エドワード8世[注釈 1]
国王
ジョージ6世
王妃
エリザベス
ハーウッド伯爵夫人
プリンセス・ロイヤル
メアリー王女
グロスター公爵
ヘンリー王子
グロスター公爵夫人
アリス妃
ケント公爵
ジョージ王子
ケント公爵夫人
マリナ妃
ジョン王子
エディンバラ公爵フィリップ王配女王
エリザベス2世
スノードン伯爵夫人
マーガレット王女
ウィリアム・オブ・グロスター王子グロスター公爵夫人
(バージット)
グロスター公爵
(リチャード)
ケント公爵
(エドワード)
ケント公爵夫人
(キャサリン)
アレクサンドラ王女マイケル・オブ・ケント王子マイケル王子妃
(マリー=クリスティーヌ)
王妃
(カミラ)
国王
(チャールズ3世)
ウェールズ公妃
ダイアナ
(離婚)
プリンセス・ロイヤル
(アン)
ヨーク公爵
(アンドリュー)
ヨーク公爵夫人
セーラ
(離婚)
エディンバラ公爵
(エドワード)
エディンバラ公爵夫人
(ソフィー)
プリンセス・オブ・ウェールズ
(キャサリン)
プリンス・オブ・ウェールズ
(ウィリアム)
サセックス公爵
(ヘンリー)
サセックス公爵夫人
(メーガン)
エドアルド・マペッリ・モッツィ夫人ベアトリス王女ジャック・ブルックスバンク夫人ユージェニー王女ルイーズ・マウントバッテン=ウィンザー令嬢ウェセックス伯爵
(ジェームズ・マウントバッテン=ウィンザー)
ジョージ・オブ・ウェールズ王子シャーロット・オブ・ウェールズ王女ルイ・オブ・ウェールズ王子アーチ―・オブ・サセックス王子リリベット・オブ・サセックス王女
注釈
  1. ^ 国王エドワード8世は1936年の退位後、ウィンザー公爵となった。


脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ バルモラル城の敷地内は王室の私有地で外部関係者の立ち入りは制限されており、チャールズは敷地内を移動する際には自分で乗用車を運転して移動している。

出典

  1. ^ “ダイアナ元妃がプリンセスになるまでのフォトアルバム18選”. ELLEgirl (2017年8月8日). 2020年12月27日閲覧。
  2. ^ Daily Telegraph (2012年6月16日). “Prince Charles awarded highest rank in all three armed forces”. 2012年10月7日閲覧。
  3. ^ : Mountbatten-Windsor
  4. ^ Brandreth 2007, p. 170.
  5. ^ 津野志摩子 『恐るべき食品添加物と問題児-イギリスのホールフード運動』バーディ出版、1989年11月。ISBN 978-4-7918-0466-5。9頁
  6. ^ ディンブルビー(1995) 下巻 p.17
  7. ^ モートン(1997) p.184-185
  8. ^ ディヴィス(1992) p.140-141
  9. ^ チャールズ皇太子ご結婚(衛星中継) - NHKクロニクル
  10. ^ キャンベル(1992) p.187-191
  11. ^ ディヴィス(1992) p.152
  12. ^ a b モートン(1997) p.290
  13. ^ ディヴィス(1992) p.366
  14. ^ キャンベル(1992) p.273-275
  15. ^ ディンブルビー(1995) 下巻 p.124-129
  16. ^ キャンベル(1992) p.295
  17. ^ モートン(1997) p.369
  18. ^ ディンブルビー(1995) 下巻 p.203
  19. ^ キャンベル(1998) p.306
  20. ^ モートン(1997) p.410-411
  21. ^ 「世界発2006 描けぬ「女王後」 英エリザベス女王80歳に」『朝日新聞』2006年4月21日付東京本社朝刊9面。
  22. ^ 大紀元時報 (2008年2月9日). “英チャールズ皇太子、北京五輪不参加”. 2008年11月16日閲覧。
  23. ^ VOICE OF INDIA (2008年1月29日). “英皇太子、北京五輪出席せず。中国のチベット政策に抗議”. 2008年11月16日閲覧。
  24. ^ ALL About (2005年2月16日). “チャールズ皇太子とカミラさんの再婚に賛成?反対?30年来の恋を成就させて結婚へ『チャールズ皇太子とカミラさんの結婚』”. 2008年11月16日閲覧。
  25. ^ ALL About (2005年2月16日). “チャールズ皇太子とカミラさんの再婚に賛成?反対?30年来の恋を成就させて結婚へ『自分の意思を貫く強さを持つカミラさん』”. 2008年11月16日閲覧。
  26. ^ AFPBB News (2007年9月27日). “チャールズ皇太子とカミラ夫人に対する国民感情が好転”. 2022年4月18日閲覧。
  27. ^ “チャールズ皇太子はウィリアム王子のために身を引くべき=英調査”. ニューズウィーク. (2022年4月10日). https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2022/04/post-668.php 2022年4月18日閲覧。 
  28. ^ “イギリス チャールズ皇太子 新型コロナの陽性反応”. NHKニュース. (2020年3月25日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200325/k10012350051000.html 2020年3月25日閲覧。 
  29. ^ “Queen Elizabeth II passes away, Prince Charles succeeds as king”. ザ・ステイツマン (インド)(英語版) (2022年9月8日). 2022年9月8日閲覧。
  30. ^ Barnes, Tom (2019年1月2日). “Almost half of British public want Prince Charles to give throne to William upon Queen's death, survey finds”. The Independent. https://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/prince-charles-heir-throne-abdicated-william-queen-dies-death-next-in-line-public-opinion-a8704316.html 2022年9月8日閲覧。 
  31. ^ Kirk, Isabelle. “Public opinion of Prince Charles improves in latest royal favourability poll” (英語). YouGov(英語版). 2022年9月8日閲覧。
  32. ^ A statement from His Majesty The King:
  33. ^ Rayner, Gordon (2013年9月19日). “Prince of Wales will be oldest monarch crowned”. The Daily Telegraph. オリジナルの2013年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20130920192835/http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/prince-charles/10320264/Prince-of-Wales-will-be-oldest-monarch-crowned.html 2013年9月19日閲覧。 
  34. ^ Wheatstone, Richard (2016年9月11日). “Secret committee arranging Prince Charles' coronation 'revealed after blunder'”. The Mirror. https://www.mirror.co.uk/news/uk-news/secret-operation-orb-committee-organising-8811781 
  35. ^ 時事通信社 (2022年10月12日). “チャールズ国王戴冠式は来年5月 ウェストミンスター寺院で―英王室”. 2022年10月12日閲覧。
  36. ^ Hyde, Nathan; Field, Becca (2022年2月17日). “Prince of Wales plans for a 'scaled back' coronation ceremony with Camilla”. CambridgeshireLive. https://www.cambridge-news.co.uk/whats-on/prince-wales-plans-scaled-back-23107165 2022年3月8日閲覧。 
  37. ^ “King Charles III pays tribute to his 'darling mama' in first address”. BBC.com (2022年9月9日). 2022年9月16日閲覧。
  38. ^ チャールズ新国王の即位、正式布告 初演説で女王に感謝(BBC 2022年9月10日、2022年9月22日閲覧)
  39. ^ Ratcliffe, Rebecca (2022年9月10日). “Charles III is proclaimed King”. The Guardian. https://www.theguardian.com/uk-news/live/2022/sep/10/king-charles-iii-proclaimed-st-james-palace-accession-council-latest-updates 2022年9月10日閲覧。 
  40. ^ “Charles formally confirmed as king in ceremony televised for first time”. BBC News (2022年9月10日). 2022年9月10日閲覧。
  41. ^ “英 スナク新首相就任 42歳5か月は英首相で20世紀以降最年少”. NHK. (2022年10月26日). https://web.archive.org/web/20221025105120/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221025/k10013870181000.html 2023年2月28日閲覧。 
  42. ^ a b “南ア大統領が訪英 国王即位後初の公式訪問”. www.afpbb.com. 2022年12月12日閲覧。
  43. ^ “チャールズ国王に卵投げつけか 男を逮捕”. www.afpbb.com (2022年12月7日). 2022年12月28日閲覧。
  44. ^ “チャールズ英国王、困窮者支援に「敬意」 初のクリスマスメッセージ”. www.afpbb.com (2022年12月26日). 2023年2月28日閲覧。
  45. ^ “【全訳】 チャールズ英国王が初のクリスマスのあいさつ エリザベス女王を追悼”. BBC (2022年12月26日). 2023年2月28日閲覧。
  46. ^ “英国王戴冠式 秋篠宮ご夫妻がご参列 国王とご交流”. 産経新聞 (2023年5月6日). 2023年5月7日閲覧。
  47. ^ “天皇、皇后両陛下、英国王にご祝電 戴冠式に当たり”. 産経新聞 (2023年5月6日). 2023年5月7日閲覧。
  48. ^ “英国王戴冠式、社会の変化に適応を目指す国家の転換点に 聖なる油を国王に塗る儀式も実施”. ブルームバーグ. 会社四季報オンライン (2023年5月7日). 2023年5月7日閲覧。
  49. ^ “チャールズ英国王が戴冠式 王室新時代への決意表明”. 産経新聞 (2023年5月6日). 2023年5月7日閲覧。
  50. ^ “英・チャールズ国王が通常の公務に復帰へ”. 日テレ. 2024年4月27日閲覧。
  51. ^ 暗殺!? バッキンガム宮殿に男が侵入…英国王室が忘れてしまいたい「4つのスキャンダル」 Harper’s BAZAAR(ハーパーズ バザー)
  52. ^ ダイアナ妃との離婚を決定づけた、流出したチャールズ皇太子とカミラ夫人の電話とは? フィガロジャポン、2023年4月16日閲覧
  53. ^ カミラ王妃 英国で不安視される新女帝の暴走…実孫を“王族扱い”にする懸念も 女性自身、2023年4月16日閲覧
  54. ^ “不倫だらけ、離婚だらけ...そんな中から見えてきた、エリザベス女王の気高き人格”. mi-mollet. 2023年4月16日閲覧。
  55. ^ https://www.thetimes.co.uk/article/bin-laden-familys-1m-puts-prince-charles-and-charity-commission-in-the-spotlight-8dxkctkcd
  56. ^ Prince Charles accepted £1m from Osama Bin Laden's family - report BBC、2023年4月16日閲覧
  57. ^ https://web.archive.org/web/20220731220827/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022080100117&g=int
  58. ^ 讀賣テレビ放送 (2022年11月19日). ““兄のような存在” 英・チャールズ国王と天皇陛下の40年来の交流【皇室 a Moment】”. 2022年11月21日閲覧。
  59. ^ “King Charles: New royal cypher revealed” (英語). BBC News. (2022年9月26日). https://www.bbc.com/news/uk-63034255 2022年9月26日閲覧。 
  60. ^ 2017年12月20日に公開された外交記録[1]のうち「チャールズ英国皇太子同妃両殿下訪日(公賓)」ファイル[2]中の“「皇太子同妃の呼称について」”. 外務省. 2020年10月13日閲覧。
  61. ^ 君塚(2008) p.320
  62. ^ CCharles denies planning to reign as King George | UK news | The Guardian (2005年12月27日) 2015年2月21日閲覧
  63. ^ “新国王はチャールズ3世”. 共同通信 (共同通信社). (2022年9月9日). https://web.archive.org/web/20220908185515/https://nordot.app/940681650572984320 2022年9月9日閲覧。  
  64. ^ : A Vision of Britain: A Personal View of Architecture
  65. ^ Duchy Originals
  66. ^ AFPBB News (2008年3月1日). “チャールズ英皇太子、公邸でのフォアグラ料理を禁止”. 2008年11月16日閲覧。
  67. ^ Intennet JOURUEY (2007年3月1日). “「下手なレストランよりは優秀」-元ミシュラン三ツ星シェフが「マクドナルド」を絶賛”. 2008年11月16日閲覧。
  68. ^ Prince Charles: Alternative medicine must be saved from new EU rules., ズィスイズロンドン誌、2009年12月1日
  69. ^ Prince Charles 'backed homeopathy in secret talks with ministers'、デイリーメール誌、2010年2月21日
  70. ^ : Prince's Foundation for Integrated Health
  71. ^ Prince Charles's aide at homeopathy charity arrested on suspicion of fraud.、ガーディアン誌、2010年4月26日
  72. ^ 日本補完代替医療学会 (2006年4月). “がんの補完代替医療ガイドブック-厚生労働省がん研究助成金研究”. 2008年11月16日閲覧。
  73. ^ ツイッターから天気予報まで イギリス王室の宣伝戦略
  74. ^ BBCのお天気キャスターに 視聴者びっくり CNN、2023年4月16日閲覧
  75. ^ チャールズ皇太子夫妻がお天気キャスターに 日本テレビ、2023年4月16日閲覧
  76. ^ 英チャールズ皇太子、乗用車を運転中にシカと衝突する交通事故 Businessnewsline、2016年9月15日 2016年9月25日閲覧
  77. ^ Prince Charles involved in a crash with a DEER at Balmoral leaving his car badly damaged(英語) デイリー・ミラー、2016年9月15日

参考文献

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、チャールズ3世 (イギリス王)に関連するカテゴリがあります。

外部リンク

公式
  • His Majesty The King(国王陛下)- イギリス王室公式サイト (英語)
その他
  • King Charles III - ナショナル・ポートレート・ギャラリー (英語) ウィキデータを編集
  • King Charles III - IMDb(英語)
  • チャールズ3世 - C-SPAN(英語)
  • チャールズ皇太子公式サイト - ウェイバックマシン(2001年1月18日アーカイブ分) (英語)
  • ロイヤルワラント・ホルダーズ (英語)
  • チャールズ皇太子 ダイアナ妃と結婚(1981年) - NHK放送史
  • チャールズ皇太子ダイアナ妃 来日(1986年) - NHK放送史
  • 英 チャールズ皇太子・ダイアナ妃が来日(1986年・TBSアーカイブ) - YouTube
チャールズ3世 (イギリス王)

1948年11月14日 - 存命中

爵位・家督
先代
エリザベス2世
イギリスの旗 連合王国国王
第10代:2022年9月8日 -
現職
(後継者)
(ウィリアム皇太子)
カナダの旗 カナダ国王
第7代:2022年9月8日 -
オーストラリアの旗 オーストラリア国王
第7代:2022年9月8日 -
ニュージーランドの旗 ニュージーランド国王
第6代:2022年9月8日 -
ジャマイカの旗 ジャマイカ国王
第2代:2022年9月8日 -
バハマの旗 バハマ国王
第2代:2022年9月8日 -
グレナダの旗 グレナダ国王
第2代:2022年9月8日 -
パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア国王
第2代:2022年9月8日 -
ソロモン諸島の旗 ソロモン諸島国王
第2代:2022年9月8日 -
ツバルの旗 ツバル国王
第2代:2022年9月8日 -
セントルシアの旗 セントルシア国王
第2代:2022年9月8日 -
セントビンセント・グレナディーンの旗 セントビンセント・グレナディーン国王
第2代:2022年9月8日 -
ベリーズの旗 ベリーズ国王
第2代:2022年 -
アンティグア・バーブーダの旗 アンティグア・バーブーダ国王
第2代:2022年9月8日 -
セントクリストファー・ネイビスの旗 セントクリストファー・ネイビス国王
第2代:2022年9月8日 -
イギリス王室
先代
エドワード王子
イングランドの旗 皇太子
1958年7月26日 - 2022年9月8日
次代
ウィリアム皇太子
イングランドの旗 コーンウォール公
1952年2月6日 - 2022年9月8日
スコットランドの旗 ロスシー公
1952年2月6日 - 2022年9月8日
イギリスの爵位
先代
フィリップ王配
イングランドの旗 エディンバラ公
2021年4月9日 - 2022年9月8日
次代
エドワード王子
名誉職
先代
グロスター公ヘンリー
バス勲章グレート・マスター
1974年6月10日 - 2022年9月8日
空位
即位のため一時的に空位
ハノーヴァー朝
  • ジョージ3世1801-1820
  • ジョージ4世1820-1830
  • ウィリアム4世1830-1837
  • ヴィクトリア1837-1901
サクス=コバーグ=ゴータ朝
  • エドワード7世1901-1910
  • ジョージ5世1910-1917
ウィンザー朝
  • ジョージ5世1917-1936
  • エドワード8世1936
  • ジョージ6世1936-1952
  • エリザベス2世1952-2022
  • チャールズ3世2022-
1603年までのイングランド君主1603年までのスコットランド君主
  • アルフレッド大王871-899
  • エドワード長兄王899-924
  • アゼルスタン924-939
  • エドマンド1世939-946
  • エドレッド946-955
  • エドウィ955-959
  • エドガー959-975
  • エドワード殉教王975-978
  • エゼルレッド2世978-1013
  • スヴェン1013-1014
  • エゼルレッド2世1014-1016
  • エドマンド2世1016
  • クヌート大王1016-1035
  • ハロルド1世1035-1040
  • ハーディカヌート1040-1042
  • エドワード懺悔王1042-1066
  • ハロルド2世1066
  • エドガー・アシリング (王位請求者)1066
  • ウィリアム1世1066-1087
  • ウィリアム2世1087-1100
  • ヘンリー1世1100-1135
  • マティルダ (イングランド人の女君主)1141-1148
  • スティーヴン1135-1154
  • ヘンリー2世1154-1189
  • 若ヘンリー (共同王)1170-1183
  • リチャード1世1189-1199
  • ジョン1199-1216
  • ヘンリー3世1216-1272
  • エドワード1世1272-1307
  • エドワード2世1307-1327
  • エドワード3世1327-1377
  • リチャード2世1377-1399
  • ヘンリー4世1399-1413
  • ヘンリー5世1413-1422
  • ヘンリー6世1422-1461
  • エドワード4世1461-1470
  • ヘンリー6世 (復位)1470-1471
  • エドワード4世 (復位)1471-1483
  • エドワード5世1483
  • リチャード3世1483-1485
  • ヘンリー7世1485-1509
  • ヘンリー8世1509-1547
  • エドワード6世1547-1553
  • ジェーン・グレイ1553
  • メアリー1世1553-1558及びフィリップ1554-1558(共同王)
  • エリザベス1世1558-1603
  • ケネス1世848-858
  • ドナルド1世(英語版)859-863
  • コンスタンティン1世(英語版)863-877
  • エイ(英語版)877-878
  • ギリック(英語版)878-889
  • ヨーカ(英語版)878-889
  • ドナルド2世889-900
  • コンスタンティン2世(英語版)900-942
  • マルカム1世(英語版)942-954
  • インダルフ(英語版)954-962
  • ダフ(英語版)962-967
  • カリン(英語版)967-971
  • ケネス2世(英語版)971-995
  • コンスタンティン3世(英語版)995-997
  • ケネス3世(英語版)997-1005
  • マルカム2世1005-1034
  • ダンカン1世1034-1040
  • マクベス1040-1057
  • ルーラッハ1057-1058
  • マルカム3世1058-1093
  • ドナルド3世1093-1094
  • ダンカン2世1094
  • ドナルド3世1094-1097
  • エドガー1097-1107
  • アレグザンダー1世1107-1124
  • デイヴィッド1世1124-1153
  • マルカム4世1153-1165
  • ウィリアム1世1165-1214
  • アレグザンダー2世1214-1249
  • アレグザンダー3世1249-1286
  • マーガレット1286-1290
  • ジョン・ベイリャル1292-1296
  • ロバート1世1306-1329
  • デイヴィッド2世1329-1371
  • エドワード・ベイリャル1332-1356
  • ロバート2世1371-1390
  • ロバート3世1390-1406
  • ジェームズ1世1406-1437
  • ジェームズ2世1437-1460
  • ジェームズ3世1460-1488
  • ジェームズ4世1488-1513
  • ジェームズ5世1513-1542
  • メアリー1世1542-1567
  • ジェームズ6世1567-1625
    • 1603年の王冠連合後のイングランド及びスコットランドの君主
  • ジェームズ1世及び6世1603-1625
  • チャールズ1世1625-1649
  • 護国卿政府 (オリバー・クロムウェル1653-1658リチャード・クロムウェル1658-1659)
  • チャールズ2世1660-1685
  • ジェームズ2世及び7世1685-1688
  • ウィリアム3世及び2世1689-1702及びメアリー2世1689-1694(共同王)
  • アン1702-1707
    • 1707年合同法後のイギリス君主
  • アン1707-1714
  • ジョージ1世1714-1727
  • ジョージ2世1727-1760
  • ジョージ3世1760-1820
  • ジョージ4世1820-1830
  • ウィリアム4世1830-1837
  • ヴィクトリア1837-1901
  • エドワード7世1901-1910
  • ジョージ5世1910-1936
  • エドワード8世1936
  • ジョージ6世1936-1952
  • エリザベス2世1952-2022
  • チャールズ3世2022-
    アフリカ
    アジア
    ヨーロッパ
    両アメリカ
    • アンティグア・バーブーダの旗 バハマの旗 ベリーズの旗 カナダの旗 グレナダの旗ジャマイカの旗 セントクリストファー・ネイビスの旗 セントルシアの旗 セントビンセント・グレナディーンの旗 チャールズ3世
    オセアニア
    職権上の騎士
    • 国王チャールズ3世1958
    • プリンス・オブ・ウェールズ2008
    臣民の騎士
    • 第5代アバコーン公爵1999
    • イング男爵2001
    • バトラー男爵(英語版)2003
    • モリス男爵(英語版)2003
    • サー・ジョン・メージャー2005
    • ルース男爵(英語版)2008
    • サー・トマス・ダン(英語版)2008
    • フィリップス男爵2011
    • ボイス男爵2011
    • スターラップ男爵2013
    • マニンガム=ブラー女男爵2014
    • キング男爵2014
    • 第5代シャトルワース男爵2016
    • サー・デイヴィッド・ ブリューワー(英語版)2016
    • レディ・メアリー・フェーガン(英語版)2018
    • 第3代ブルックバラ子爵2018
    • レディ・メアリー・ピーターズ2019
    • 第7代ソールズベリー侯爵2019
    • アモス女男爵(英語版)2022
    • サー・トニー・ブレア2022
    • 空席4席
    王族の騎士
    • ケント公爵1985
    • プリンセス・ロイヤル1994
    • グロスター公爵1997
    • アレクサンドラ王女2003
    • ヨーク公爵2006
    • エディンバラ公爵2006
    • 王妃2022
    外国君主の騎士
    • マルグレーテ2世(デンマーク女王)1979
    • カール16世グスタフ(スウェーデン国王)1983
    • フアン・カルロス1世(スペイン前国王)1988
    • ベアトリクス(オランダ前女王)1989
    • 明仁上皇(日本前天皇)1998
    • ハーラル5世(ノルウェー国王)2001
    • フェリペ6世(スペイン国王)2017
    • ウィレム=アレクサンダー(オランダ国王)2018
    オフィサー
    • Prelate:ウィンチェスター主教ティム・デーキン(英語版)
    • Chancellor:第5代アバコーン公爵
    • Registrar:ウィンザー首席司祭デイヴィッド・コナー(英語版)
    • Garter Principal King of Armsトマス・ウッドコック
    • Secretary:パトリック・ディキンソン(英語版)
    • Black Rodサラ・クラーク(英語版)
    典拠管理データベース ウィキデータを編集
    全般
    • FAST
    • ISNI
    • VIAF
    • WorldCat
    国立図書館
    • ノルウェー
    • スペイン
    • フランス
    • BnF data
    • アルゼンチン
    • カタルーニャ
    • ドイツ
    • イタリア
    • イスラエル
    • フィンランド
    • ベルギー
    • アメリカ
    • スウェーデン
    • ラトビア
    • 日本
    • チェコ
    • オーストラリア
    • 韓国
    • オランダ
    • ポーランド
    学術データベース
    • CiNii Books
    • CiNii Research
    芸術家
    • MusicBrainz
    • ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレ
    • ULAN
    人物
    • ドイッチェ・ビオグラフィー
    • Trove(オーストラリア)
      • 1
    • 英国議会
    その他
    • 公文書館(アメリカ)
    • RISM
    • SNAC
    • IdRef