フリッツ・アール

フリッツ・アール
Fritz Erle
アール(1908年フランスグランプリ)
基本情報
国籍 バーデン大公国の旗 バーデン大公国( ドイツ帝国) → ドイツの旗 ドイツ国ナチス・ドイツの旗 ドイツ国 連合国軍占領下のドイツ → 西ドイツの旗 西ドイツ
生年月日 (1875-11-12) 1875年11月12日
出身地  ドイツ帝国
バーデン大公国の旗 バーデン大公国、マンハイム
死没日 (1957-11-20) 1957年11月20日(82歳没)
死没地 西ドイツの旗 西ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州 マンハイム

フリッツ・アールFritz Erle1875年11月12日 - 1957年11月20日)は、1900年代から1910年代のドイツの自動車技術者、レーシングドライバーである。ベンツ社(ドイツ語版)のワークスドライバーである。

経歴

錠前職人としての訓練を受けた後、1894年3月にベンツ社に錠前職人として入った[W 1]。その後、イルメナウ工科大学(英語版)で学んだ後、ベンツ社にエンジニアとして入り直した[W 1]

1900年に、世界初の水平4気筒エンジンを開発した[W 1]。これはゲオルク・ディール(Georg Diehl)によって設計されたレース用車両に搭載され、同年7月にフランクフルトに特設されたサーキットで開催されたレースで圧勝した。

1904年にリヒャルト・ベンツとともに同社の設計部門を引き継いだ[W 1]。1905年にハンス・ニベルとともにベンツ社の車種のラインナップを大幅に改め、売上の改善を図った。

1907年にレース部門の責任者となり[1]、アール自身もドライバーとしてレースに参戦した[W 1]。1908年に第1回プリンツ・ハインリヒ・トライアル(英語版)で優勝を果たす。

その後、同社の署名権者の一人となり、第一次世界大戦後も同社に留まり、1935年に引退した[W 1]

脚注

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出典

書籍
  1. ^ MB Quicksilver Century(Ludvigsen 1995)、p.34
ウェブサイト
  1. ^ a b c d e f “Erle, Fritz” (英語). M@RS – The Digital Archives of Mercedes-Benz Classic. 2021年6月28日閲覧。

参考資料

書籍
  • Karl Ludvigsen (1995-06). Mercedes-Benz Quicksilver Century. Transport Bookman Publications. ASIN 0851840515. ISBN 0-85184-051-5 

外部リンク

  • Fritz Erle - Mercedes-Benz Public Archive (英語)
モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ(1894年 - 1939年)
メルセデス・ベンツ
(1926年 - 1939年)
主な関係者


主なドライバー
グランプリカー
  • W25 (1934年 - 1936年)
  • W125 (1937年)
  • W154 (1938年 - 1939年)
  • W165 (1939年)
スポーツカー
速度記録車
関連組織 / 用語
メルセデス
(1894年 - 1925年)
主な関係者


主なドライバー
車両
  • 35PS(英語版) (1901年)
  • 18/100PS (1914年)
関連組織
  • ダイムラー・モトーレン(英語版) (DMG)
ベンツ
(1894年 - 1925年)
主な関係者
主なドライバー
車両
関連組織
  • ベンツ(ドイツ語版)
※1894年から1939年の期間、上掲の国旗の多くは政治体制の変遷に伴って(複数回)変更されている。上掲の国旗は国籍を示すことのみを目的にしているため、見た目の煩雑さを避ける便宜上、2021年現在の国旗を使用している。
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