モーリッツ・フォン・ザクセン=アルテンブルク

モーリッツ
Moritz
エルンスト系ヴェッティン家

全名
一覧参照
  • Moritz Franz Friedrich Constantin Alexander Heinrich August Carl Albrecht
    モーリッツ・フランツ・フリードリヒ・コンスタンティン・アレクサンダー・ハインリヒ・アウグスト・カール・アルブレヒト
出生 (1829-10-24) 1829年10月24日
ザクセン=アルテンブルク公国テューリンゲン、アイゼンベルク
死去 (1907-05-13) 1907年5月13日(77歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国トレント、アルコ
配偶者 アウグステ・フォン・ザクセン=マイニンゲン
子女
一覧参照
父親 ザクセン=アルテンブルク公ゲオルク
母親 マリー・フォン・メクレンブルク=シュヴェリーン(英語版)
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モーリッツ・フォン・ザクセン=アルテンブルクMoritz von Sachsen-Altenburg, 1829年10月24日 - 1907年5月13日)は、ドイツザクセン=アルテンブルク家の公子。

生涯

少年時代のモーリッツの肖像画(ルートヴィヒ・ドール画、1842年)

ザクセン=アルテンブルク公ゲオルクとその妻でメクレンブルク=シュヴェリーン大公世子フリードリヒ・ルートヴィヒの娘であるマリー(英語版)の間の三男として、テューリンゲンのアイゼンベルク(Eisenberg)に生まれた。全名はモーリッツ・フランツ・フリードリヒ・コンスタンティン・アレクサンダー・ハインリヒ・アウグスト・カール・アルブレヒト(Moritz Franz Friedrich Constantin Alexander Heinrich August Carl Albrecht)。

イェーナドレスデンで教育を受けた後、最初はバイエルン軍に、ついで1851年にプロイセン軍に入隊した。プロイセン軍では近衛驃騎兵連隊(Garde-Husaren-Regiment)所属の少尉から軍歴を始め、最終的に騎兵大将(General der Kavallerie)となった。

東方歴史・考古研究団体の会長も務め、アルテンブルクに設立された博物館はモーリッツの名前に因んでマウリティアヌム(Mauritianum)と呼ばれた。1857年に軍務に専念するため会長職を辞した後も、ボン大学で研究を続けた。普仏戦争では義姉のザクセン=アルテンブルク公妃アグネス(英語版)とともにドイツ赤十字社の活動を支援し、後に赤十字社のアルテンブルク支部の名誉支部長となった。

1862年10月15日にマイニンゲンにおいて、ザクセン=マイニンゲン公ベルンハルト2世の娘アウグステ(英語版)(1843年 - 1919年)と結婚し、1男4女の5人の子供をもうけた。男子のない兄エルンスト1世の後継者に指名されたものの、兄より先にトレントのアルコで亡くなった。

子女

アウグステ・フォン・ザクセン=マイニンゲンとの間に以下の一男四女をもうけた。

  • マリア・アンナ(1864年 - 1918年) - 1882年、シャウムブルク=リッペ侯ゲオルクと結婚
  • エリーザベト・アウグステ・マリー・アグネス(1865年 - 1927年) - 1884年、ロシア大公コンスタンチン・コンスタンチノヴィチと結婚
  • マルガレーテ・マリー・アグネス・アーデルハイト・カロリーネ・フリーデリケ(1867年 - 1882年)
  • エルンスト・ベルンハルト・ゲオルク・ヨハン・カール・フリードリヒ・ペーター・アルベルト(1871年 - 1955年) - ザクセン=アルテンブルク公
  • ルイーゼ・シャルロッテ・マリー・アグネス(1873年 - 1953年) - 1895年、アンハルト公エドゥアルトと結婚(1918年離婚)

参考文献

  • Otto Koepert: Moritz, Prinz von Sachsen-Altenburg, Herzog zu Sachsen: ein Lebensbild, Druck und Verlag von Oskar Bonde, 1908
  • Heinrich Ferdinand Schoeppl: Die Herzoge von Sachsen-Altenburg. Bozen 1917, Neudruck Altenburg 1992
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