断熱的到達可能性

断熱的到達可能性(Adiabatic accessibility)とは、熱力学における概念の一つ。「断熱・断物の壁で囲まれた系の任意の2つの平衡状態 X, Y について、X から Y への状態変化が力学的仕事だけで起こせること」を指す。

エリオット・H・リーブヤコブ・イングヴァソンはこの概念を用い、次のような要請(数学における公理に相当する)を熱力学の出発点のひとつにおいた。

「断熱・断物の壁で囲まれた系の任意の2つの平衡状態 X, Y について、X から Y への状態変化が力学的仕事だけで起こせるか否かが定まっている。」

つまり「状態たちの間に一本の序列が付けられる」ということである。もちろんこれだけでは熱力学の要請としては足りないので、他にも幾つかの要請をおく。そうすると、任意の状態について、その大小がこの序列の順番を決めるような、ある相加的な量が(定数倍などのつまらない不定性を除いて実質的に)一意的に定義できることが示せる。それがエントロピーになる。[1]

定義

平衡状態 Y が別の平衡状態 X から断熱的到達可能であることを、 X Y {\displaystyle X\prec Y} と書く。 {\displaystyle \prec } の定義として以下の要請がなされる:

反射則
どのような X についても X X {\displaystyle X\prec X}
推移則
X Y {\displaystyle X\prec Y} かつ Y Z {\displaystyle Y\prec Z} ならば X Z {\displaystyle X\prec Z}
状態の複合との一貫性
X X {\displaystyle X\prec X'} かつ Y Y {\displaystyle Y\prec Y'} ならば ( X , Y ) ( X , Y ) {\displaystyle (X,Y)\prec (X',Y')}
スケール不変性
X Y {\displaystyle X\prec Y} ならば λ X λ Y {\displaystyle \lambda X\prec \lambda Y}
分裂と再結合
0 < λ < 1 {\displaystyle 0<\lambda <1} について X ( ( 1 λ ) X , λ X ) {\displaystyle X\prec ((1-\lambda )X,\lambda X)} であり ( ( 1 λ ) X , λ X ) X {\displaystyle ((1-\lambda )X,\lambda X)\prec X} である
安定性
もしいくらでも小さい ϵ > 0 {\displaystyle \epsilon >0} について ( X , ϵ Z 0 ) ( Y , ϵ Z 1 ) {\displaystyle (X,\epsilon Z_{0})\prec (Y,\epsilon Z_{1})} ならば X Y {\displaystyle X\prec Y}

反射則と推移則から、 {\displaystyle \prec } 前順序であることに注意する。この要請の中には、「」や「可逆機関」などの概念が含まれていない。さらに温度の概念さえ必要ない。しかしエントロピーを定義するにはまだ足りず、以下の比較仮説が必要である。 [2]

比較仮説

2つの状態 X, Y について、 X Y {\displaystyle X\prec Y} Y X {\displaystyle Y\prec X} の少なくともどちらか一方は成り立つ。これを比較仮説という。[3]

この比較仮説は、 X Y {\displaystyle X\prec Y} を満たす ( X , Y ) {\displaystyle (X,Y)} の一覧表が十分に長いことを保証してくれる。逆にこの比較仮説がないと、エントロピー関数によって記述されない状態の一覧表も出てくる。[2]

エントロピーの構成

X Y {\displaystyle X\prec Y} の時かつその時に限り、エントロピーは S ( X ) S ( Y ) {\displaystyle S(X)\leq S(Y)} という性質を持つ。また X A Y {\displaystyle X{\overset {\underset {\mathrm {A} }{}}{\sim }}Y} の時かつその時に限り、 S ( X ) = S ( Y ) {\displaystyle S(X)=S(Y)} という性質を持つ。これは熱力学第二法則に対応している。

X 0 X 1 {\displaystyle X_{0}\prec X_{1}} を満たす2つの状態 X 0 {\displaystyle X_{0}} X 1 {\displaystyle X_{1}} を選び、それぞれのエントロピーを0と1とした場合、 X 0 X X 1 {\displaystyle X_{0}\prec X\prec X_{1}} をみたす状態X のエントロピーは次のように定義される。 [4]

S ( X ) = sup ( λ : ( ( 1 λ ) X 0 , λ X 1 ) X ) {\displaystyle S(X)=\sup(\lambda :((1-\lambda )X_{0},\lambda X_{1})\prec X)}

参考文献

  1. ^ 清水明『熱力学の基礎』東大出版会、2007年。ISBN 978-4-13-062609-5。 
  2. ^ a b エリオット・リーブ, ヤコブ・イングヴァソン:「エントロピー再考」,田崎晴明訳,「パリティ」,丸善, Vol.16, No.08, pp.4-12, (2001)
  3. ^ 佐々真一「熱力学の論理と動的システム」物性研究 (2002), 78(6): 672-676
  4. ^ Lieb, Elliott H.; Yngvason, Jakob (2003). “The Mathematical Structure of the Second Law of Thermodynamics”. arXiv. doi:10.1016/S0370-1573(98)00082-9. http://arxiv.org/abs/math-ph/0204007 2012年11月7日閲覧。. 
  • E. H. Lieb and J. Yngvason (1999). “The Physics and mathematics of the second law of thermodynamics”. Phys. Rept. 310: 1. http://de.arxiv.org/abs/cond-mat/9708200.