景定(けいてい)は、中国・南宋の理宗の治世に使用された元号。1260年 - 1264年。
西暦等との対照表
出来事
- 開慶元年
- 景定元年
- 4月16日:賈似道が少師・右丞相となり政権を握る。
- 7月:モンゴルの郝経が来て和議を求めたが、南宋はこれを拒否。郝経は真州に抑留される。
- 9月23日:李璮が淮安を侵犯する。
- 景定2年
- 4月5日:呂文徳が京湖安撫制置大使に任ぜられる。
- 7月29日:クビライが南宋征討を宣する。
- 景定3年
- 2月3日:李璮がモンゴルを裏切って南宋と内応する。
- 7月20日:モンゴルが李璮の乱を平定する。
- 景定4年
- 2月:嘉定府がモンゴル軍により侵される。
- 2月7日:公田を買い上げる詔勅が出る。
- 10月13日:浙西の6郡に公田荘が設置される。
- 景定5年
- 10月24日:関子銅銭法を行ない、現行会子の発行は中止させる。
- 10月26日:理宗が崩ずる。
- 12月1日:度宗の即位により翌年から「咸淳」へ踰年改元の詔が下る。
関連項目