梅辻春樵

梅辻 春樵(うめつじ しゅんしょう、安永5年4月7日(1776年5月24日) - 安政4年2月17日(1857年3月12日))は、江戸時代神職漢詩人儒学者。実名は生源寺希声(まれおと)。春樵は別号で、ほかに愷軒(がいけん)、無絃(むげん)とも号した。字は延調。通称は勘解由。子に梅辻改絃、梅辻秋漁がいる。

安永5年(1776年)、生源寺行整の子として生まれる。文化4年(1807年)、弟の生源寺希烈に神職を譲り、京都に隠居した。

皆川淇園村瀬栲亭に学び、儒学に長け、漢詩をよくした。京都では私塾を開き、多くの門人を抱えた。山本亡羊石田冷雲らと交流があった。著書に『春樵隠士家稿』『春樵詩草』などがある。

安政4年(1857年)、82歳で亡くなった。墓所は高台寺

参考

  • 上村泰裕. “梅辻春樵『七十自壽集』自叙”. 上村泰裕のホームページ. 2021年10月19日閲覧。
  • 『梅辻春樵』 - コトバンク
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