瀬谷英行

瀬谷 英行
せや ひでゆき
生年月日 1919年2月28日
出生地 東京府
没年月日 (2008-12-16) 2008年12月16日(89歳没)
出身校 中央大学法学部
前職 埼玉県国営企業体等労働組合協議会議長
所属政党 (日本社会党→)
社会民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
参議院永年在職議員

在任期間 1986年7月22日 - 1989年8月7日

選挙区 埼玉県地方区・埼玉県選挙区
当選回数 6回
在任期間 1962年7月7日 - 1998年7月25日
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瀬谷 英行(せや ひでゆき、1919年2月28日 - 2008年12月16日)は、日本政治家。元日本社会党参議院議員。元参議院副議長正三位勲一等旭日大綬章

来歴・人物

東京府に生まれ、1931年中央大学法学部卒業後、鉄道省に就職。戦後国鉄労働組合(国労)の結成に参加し反共連盟→民主化同盟で活動、埼玉県国営企業体等労働組合協議会議長を歴任した。

大沢雄一の辞職(第29回衆議院議員総選挙出馬)に伴う1960年11月の参議院議員補欠選挙(第29回衆議院議員総選挙と同日)に埼玉県地方区(1983年の参院選より埼玉県選挙区)から社会党公認で出馬し落選するも、1962年7月参院選に同区より再び社会党公認で出馬し当選、以後連続6期務める。党埼玉県連会長・党参議院国会対策委員長を経て1983年7月参院選後に石橋政嗣新委員長が就任すると、党参議院議員会長に就任。1986年7月の衆参同日選後に参院副議長に就任し、1989年まで務めた。

1992年参院選で引退を表明するも後継候補が出馬を辞退、結局出馬して1998年まで参院議員を務めた。1996年の社会民主党結成に参加。同年10月の総選挙を前に所属議員の多くが民主党に移籍する中、社民党に残留した数少ない議員の一人となった。

1998年、勲一等旭日大綬章受章[1]

俳句川柳を趣味とし、記者に求められて即興で一句ひねることもあった。孫の手を引いて選挙運動する様子なども話題となった。

2008年12月16日老衰のため埼玉県熊谷市の病院で死去。89歳没。

政策・主張

  • 選択的夫婦別姓制度導入に賛成していた。「夫婦が同姓であろうと別姓になろうと痛くもかゆくもないことなんだ、どうでもいいじゃないかという気がするんですよ。一体(導入するのに)どこに支障があるのか?」とも述べた[2]

選挙歴

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第4回参議院議員補欠選挙 1960年11月20日 埼玉県地方区 日本社会党 358,437 39.7 2/2 - -
第6回参議院議員通常選挙 1962年7月1日 埼玉県地方区 日本社会党 250,789 27.0 2/6 - -
第8回参議院議員通常選挙 1968年7月7日 埼玉県地方区 日本社会党 402,774 33.7 2/3 - -
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 埼玉県地方区 日本社会党 566,665 27.7 1/6 - -
第12回参議院議員通常選挙 1980年6月22日 埼玉県地方区 日本社会党 604,635 27.2 2/5 - -
第14回参議院議員通常選挙 1986年7月6日 埼玉県選挙区 日本社会党 698,600 29.7 1/9 - -
第16回参議院議員通常選挙 1992年7月26日 埼玉県選挙区 日本社会党 420,722 25.1 2/10 - -
当選回数6回 (参議院議員6)

関連項目

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
  2. ^ 参議院会議録 第123回国会 法務委員会 第2号 平成四年三月十二日(木曜日)
議会
先代
阿具根登
日本の旗 参議院副議長
第18代:1986年 - 1989年
次代
小野明
先代
前川旦
日本の旗 参議院決算委員長
1975年 - 1976年
次代
鈴木力
日本の旗 参議院決算委員長 (1975年-1976年)
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
定数3
第18回
第20回
第22回
第24回
定数4
第26回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
定数3
第17回
第19回
第21回
第23回
定数4
第25回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
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