浮田秀仲

浮田 秀仲(うきた ひでなか、生年不詳 - 天明7年4月30日(1787年6月15日))は、江戸時代後期の人物。八丈島に配流となった宇喜多一族。通称は、文大夫、茂吉、半平。父は浮田秀誉。子に秀音、デゴ、ナカ、他娘2名。兄弟に平兵衛、半三郎。

生涯

浮田半平家の当主浮田秀誉の子として生まれる。

安永5年(1776年)、父秀誉の死去により家督を継ぐ。

天明7年4月30日(1787年6月15日)に死去(戒名、正道信士)したが、その3日前の4月27日には、妻と娘2名(デゴ、ナカ)が死去しているという不自然さから、秀仲及びその妻・娘らの死には特別な事情があったことを窺わせる。

浮田半平家の家督は、幼少であった子・秀音が継ぎ、一族の浮田継繁(浮田継成の子)がその後見となった。

参考文献

兒文字紋宇喜多氏(浮田半平家)8代当主
宗家

分家・支流

浮田忠平家
浮田半平家
浮田次郎吉家
  • 継治
  • 継良
  • 継達
  • 継成
  • 継久
  • 継性
  • 継利
  • 継謹
  • 直治
浮田小平治家
  • 継善
  • 継幸
  • 継暎
  • 継諦
  • 継定
  • 継明
  • 継恒
  • 秀正
  • 秀民
浮田半六家
浮田半七家
  • 継真
  • 継永
  • 継浄
  • 継寿
  • 高寿
  • 継造
  • 継復
  • 孝蔵
  • 半七
  • 秀一郎